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学習院下の薬品工場群2012年12月06日

学習院下に東西に伸びる新井薬師道があります。
この周辺の風景ほどこの40年間で変わったものはありません。
1974年の写真があります。
この道の突き当たりが新井薬師道です。
昔の学習院下の風景
正面に見える小高い森は学習院です。
その手前の白い外壁は運輸省の船舶技術研究所です。船の走行実験をする施設なので、長さが200mもある建物でした。
右手の石垣と万代塀の敷地は大正製薬の本社工場です。
左手の無骨な建物は武田薬品の工場です。

同じ場所から見た2012年の景色を下に載せます。
現在の学習院下の風景
正面の見るからに高級そうなマンションは、高貴な方もお住まいになっています。
そのため、この周辺を警戒する警官の数がやたらと増えることが時々あります。
右手はお洒落なテニスクラブになりました。
左手は武田薬品の社宅ですが、とても良い雰囲気ですね。

社宅を裏から見るとこんな感じです。
武田目白ガーデン
高層の立派な住宅ですね。
写真右手には地下駐車場(さすが東京!)へ降りるスロープが写っています。

武田薬品の工場の隣には倉庫がありました。
1974年の薬品倉庫

倉庫の跡地にもこんな素敵な社宅が建ちました。
武田目白ハイツ

上の写真に写っている道が新井薬師道です。(西向きに撮ってます)
これを進んで行くと200mほどで山手線の下をくぐります。「新井薬師道ガード」です。
新井薬師道ガード
この交差点のコンビニ前に警察官がよく立っています。

さて、この道沿いの大きな敷地が、この40年間にどのように用途を変えているかを一覧表にしてみました。随分お洒落な街になってますよ。

運輸省船舶技術研究所    →目白ガーデンヒルズ
武田薬品(株)高田倉庫     →武田目白ハイツ
武田薬品(株)工場        →武田目白レジデンス&ガーデン
大正製薬(株)本社工場     →大正セントラルテニスクラブ目白
日本タイプライター(株)東京工場→明治安田生命保険相互会社
中外製薬(株)工場&倉庫    →目白プレイスレジデンス
中外製薬(株)総合研究所    →目白プレイスタワー

今度は、この道についてさっきとは逆方向の東側を見てみます。
学習院の厩と銀杏
ここには、実はこの40年間まったく変わらなかったものが写っています。
左手の扉の奥にある学習院馬術部の馬屋と、フェンス沿いの銀杏並木です。
そう、この道はギンナンと馬糞の香る道なのです。40年前も今も。

夕刻の新宿戸山公園2012年12月14日

新しいレンズを買ったので試し撮りをしました。
レンズはパナソニックの "LUMIX G 20mm / F1.7 ASPH." なるものです。
これを OLYMPUS PEN E-P3 に装着しました。
このカメラ用の単焦点標準レンズがオリンパスから発売されるのを待っていたところ、最近出るには出たのですが評判があまり芳しくありません。
それでオリンパス純正は諦めて、前々から気になっていたこの玉を買うことにしたのです。

撮影場所は新宿の戸山公園としました。
時々訪れたくなる場所です。公園内にある箱根山で有名です。

この公園に隣接する戸山ハイツの一棟の写真です。全体では三十棟以上あるらしい。
60年以上の歴史がある団地なのですね。数十年かけて整備されたそうです。
戸山ハイツ&戸山公園

重力式の給水塔などもあります。懐かしい方式ですね。
戸山ハイツ給水塔

ハイツと公園が一体化しています。
敷地にかなりの高低差があるので景色が様々に変化します。
歩いていて楽しいです。
敷地内見下ろし
逆光時は露出を1〜2段絞るとハイライトの色がきれいに出ました。
下の写真も同じです。
逆光のモミジ
長い年月の間に、敷地内の自然と人工物のすべてが納まるべき所に納まった安心感があります。
団地や公園内ですれ違う方々も、皆さん長い歴史を背負っているように見えます。

記念として、いつもの様に影のセルフポートレートを撮りました。
樹皮に自分自身を焼き付ける気持ちです。
セルフポートレート

カレー「夢民」2012年12月19日

娘が「思い出の店」と言っているカレー屋さんが今年いっぱいで閉店するそうです。
諏訪町の交差点のすぐ西で営業を続けること、37年と6ヶ月。
その筋では有名なお店で、閉店を惜しむ声がネット上にも溢れています。
「夢民」と書いて「ムーミン」と呼びます。

私も、「それは行かなくちゃ!」と娘に連れられてお昼に行ってきました。
注文したのは、『ベーコン野菜カレー』です。
ベーコン野菜カレー
これは小盛りの1ホット。お腹の好き具合で、普通でも大盛りでも可能です。
もっと辛いのが好きな人は「ホット」の数を上げて注文します。
上の写真に写っているように具が沢山入ったスープカレーという感じ。

店はカウンター席だけです。店内は広いんですけどね。
この写真は、壁際に並んだウェイティング用の椅子に座っている間に撮りました。
夢民の店内
このお店は早稲田大学の建築科の石山修武教授の設計だそうです。
そのため本人だけでなく理工学部の学生も良く来るようです。
理工学部はここから近いですからね。

カレーは大満足。
味だけでなく栄養もたっぷりで元気になりました。
もっと元気になりたい人のために、ほうれん草や卵などの入ったメニューもあります。
ちなみにほうれん草が入ったものは当然「ポパイ」と名前が付いています。

食事が終わって出てくると、まだ行列が続いていました。
店の中だけでなく外にも行列です。
まだ行列
皆さん名残惜しそうな風情です。
お客さんはヒゲをはやしたインテリっぽい人が多かった気がします。
早稲田のOBが多いのかな?

目の前は諏訪神社。良い天気でした。
諏訪神社前
体力が続かなくて店を閉めるという店主ご夫妻ですが、これからは楽しい毎日が約束されていると思います。
何しろ神社の目の前で40年近く頑張って来られたのだから。

昭和の羽子板市モデル撮影会(1)2012年12月23日

毎年、師走の浅草寺で羽子板市が催されます。
それにちなんでモデル撮影会が12月の初旬に行われていました。
ところが、今年は撮影会が開催されないそうです。
市そのものも縮小傾向だそうです。寂しいですね。

そんな話を聞いて、昔の写真を引っ張り出してきました。
昭和48年の12月9日に行われた撮影会に参加した時の写真です。
こんな可愛いモデルさんたちがいました。
羽子板モデル1

羽子板モデル2
Nikon F2 + nikkorレンズの組み合わせで撮りました。

モデルだけでなく、浅草寺の境内も撮影していました。
北側から(雷門の逆側から)撮ったものです。
昔の浅草寺境内
撮影会の参加者が石段や高欄まわりに群がってます。
結構にぎわってましたね。

同じアングルから今年の12月に見た風景です。
今の浅草寺境内
右手に「影向堂(ようごうどう)」の築地塀が写っています。
このお堂は平成6年に建立されたものです。
境内が全般的に建て込んだ感じになってしまって残念です。
昔の写真の方が広々としていかにも「境内」ですよね。

ややベタな写真ですが、敷地西側から五重塔とスカイツリーを写し込んでみました。
比べてみると、五重塔の美しさが際立ちます。
スカイツリーと
......(続く

昭和の羽子板市モデル撮影会(2)2012年12月25日

前回)からの続きです。
撮影会当日は複数のモデルさんがいて、境内のあちこちで撮影しました。
一番オーソドックスなのは、本堂まわりでの撮影です。
これは高欄の宝珠柱に寄り添うモデルさんです。
羽子板市のモデルさん

先日、同じ場所から今の風景を撮ってみました。
後方の斜め壁のビルが今も残っています。
宝珠柱と風景
この写真を撮っている私を他人が見たら、「擬宝珠」の研究家かと思うかも知れません。

モデルさんは、こちらの求めに応じて様々なポーズを取ってくれます。
これなんかは「ちょっとお茶目に!」とか頼んだのかな?
お茶目なポーズ

いかにも大和撫子といった感じの女性もいました。
大和撫子

青い目?のモデルさんもいました。でも、
今となっては、目の色が青だったか茶色だったか確認しようがありません。
青い目のモデル

これなんかは、本物の芸者さんがアルバイトに羽子板モデルをつとめてたようです。
芸者モデル

同じモデルさんの写真で、少し引いた位置で撮影したものがありました。
後方左に立派な「天水桶」が写っています。
天水桶の前で

上の写真の撮影場所が今どうなっているか確認してみました。
一対の天水桶の右側が39年前の撮影場所です。
浅草神社の今
今は狛犬が前に立ちはだかっているので、昔と同じ位置からの写真は撮れませんでした。
ちなみに、この社殿は浅草寺の隣の浅草神社のものです。
そういえば、あっちのモデルさん、こっちのモデルさんと沢山歩き回って撮りまくった記憶があります。
写真も体力と気力です。
当時は良いズームレンズが無かったので、複数のカメラに複数のレンズを装着し、体力にまかせて撮りまくってるのがいましたね。
......(続く