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伊勢神宮の40年前の景色:外宮 ― 2013年10月03日
「一生に一度で良いから、お伊勢参りをしたい」
というのが江戸庶民の夢だったそうです。
私はその夢を三度もかなえてしまいました。
しかもそれぞれ式年遷宮の年に。
なぜか、20年ごとに西へ行く用事ができるのです。
40年前は、奈良&京都へお勉強に行ったついでに寄りました。
20年前は、三重県での仕事の完了祝賀行事に出席してました。
そして今年は中部に住む娘に会う必要が生じて、です。
40年前の昭和48年(1973年)にお参りした時に撮った昔の写真と、
今年行く前に購入したガイドブックを見比べながら、
事前に、どの写真がどこの景色かおよその見当をつけました。
そして、先日、同じ場所の現在の景色を写真におさめて来ました。
以下に歩いた順番に載せます。まず外宮から。
カラーが今年の撮影(カメラはニコンNikon D600)、
白黒が1973年の撮影(カメラはミノルタMinolta SR-7)です。
手水舎で手と口を清めた後、正宮への参道を進みます。
これから第二鳥居をくぐろうとしています。
というのが江戸庶民の夢だったそうです。
私はその夢を三度もかなえてしまいました。
しかもそれぞれ式年遷宮の年に。
なぜか、20年ごとに西へ行く用事ができるのです。
40年前は、奈良&京都へお勉強に行ったついでに寄りました。
20年前は、三重県での仕事の完了祝賀行事に出席してました。
そして今年は中部に住む娘に会う必要が生じて、です。
40年前の昭和48年(1973年)にお参りした時に撮った昔の写真と、
今年行く前に購入したガイドブックを見比べながら、
事前に、どの写真がどこの景色かおよその見当をつけました。
そして、先日、同じ場所の現在の景色を写真におさめて来ました。
以下に歩いた順番に載せます。まず外宮から。
カラーが今年の撮影(カメラはニコンNikon D600)、
白黒が1973年の撮影(カメラはミノルタMinolta SR-7)です。
手水舎で手と口を清めた後、正宮への参道を進みます。
これから第二鳥居をくぐろうとしています。
行列の皆さんがお参りしようとしているのは、現在の正宮。
ご正殿には豊受大御神(とようけのおおみかみ)が祀られています。
内宮にお祀りされている天照大御神の食事を司る神様です。
先月「空から日本を見てみよう+:伊勢神宮編」を見ていたら、
例の「じゅるるる!」のクモミちゃんが、
「ここは食べ物の神様なんだ。いつもお世話になってます!」と
特に気合いを込めてお参りしてましたよ。
上の写真の左奥に新御敷地(しんみしきち)があり、
そこには建てられたばかりの新正殿があります。
10/5の遷御に向けて、旧正殿から新正殿への通路には、
下のように仮設屋根が掛かっています。
内宮にお祀りされている天照大御神の食事を司る神様です。
先月「空から日本を見てみよう+:伊勢神宮編」を見ていたら、
例の「じゅるるる!」のクモミちゃんが、
「ここは食べ物の神様なんだ。いつもお世話になってます!」と
特に気合いを込めてお参りしてましたよ。
上の写真の左奥に新御敷地(しんみしきち)があり、
そこには建てられたばかりの新正殿があります。
10/5の遷御に向けて、旧正殿から新正殿への通路には、
下のように仮設屋根が掛かっています。
この同じ場所で、40年前に下の写真を撮っていました。
二本の杉の木の位置と傾き具合から場所が分かりました。
まだ遷御には間がある5月だったので、参拝者も少なく落ち着いた雰囲気でした。
板塀の向こう側が新御敷地ですね。
20年毎に東西が入れ替わるので、今年は40年前と同じ位置関係です。
正宮の南、亀石の橋を渡ると広場状の空間があり、
その周囲に三つの別宮が配置されています。
その一つ「多賀宮(たかのみや)」へは、
下の写真の正面の階段をのぼって行きます。
20年毎に東西が入れ替わるので、今年は40年前と同じ位置関係です。
正宮の南、亀石の橋を渡ると広場状の空間があり、
その周囲に三つの別宮が配置されています。
その一つ「多賀宮(たかのみや)」へは、
下の写真の正面の階段をのぼって行きます。
多賀宮の新社殿です。
もと来た方に階段を下りながら多賀宮の新社殿を見上げます。
40年前もこうでした。
この場所が、実はなかなか探せなかったです。
現地で他の別宮なども調べた末、やっと特定できました。
次は階段下にある別宮の一つ「土宮(つちのみや)」です。
外宮の神域を守る神様が祀られているそうです。
現地で他の別宮なども調べた末、やっと特定できました。
次は階段下にある別宮の一つ「土宮(つちのみや)」です。
外宮の神域を守る神様が祀られているそうです。
同じ場所から見た40年前の土宮はこうでした。
社殿周囲の玉石と手前の砂利を仕切る縁石が、
写真左で直角に曲がっているところが同じです。
また、写真右手の杉の木は、見事なくらい同じ形を保っています。
この写真、最初は外宮のものか内宮のものかも判別できませんでした。
でも、屋根の上に並んでいる堅魚木(かつおぎ)の本数が奇数である事と、
その両脇にある千木(ちぎ)先端の外側が垂直に削られている事(外削そとそぎ)から外宮の社殿と分かるそうです。
これに対して、内宮の社殿は、堅魚木は偶数、千木の先端は水平(内削うちそぎ)です。
こうして新旧の写真を比較してみると、
なぜか昔の写真により多くの神性を感じるような気がします。
私が更に俗物になったからかな?
...内宮へ(続く)
写真左で直角に曲がっているところが同じです。
また、写真右手の杉の木は、見事なくらい同じ形を保っています。
この写真、最初は外宮のものか内宮のものかも判別できませんでした。
でも、屋根の上に並んでいる堅魚木(かつおぎ)の本数が奇数である事と、
その両脇にある千木(ちぎ)先端の外側が垂直に削られている事(外削そとそぎ)から外宮の社殿と分かるそうです。
これに対して、内宮の社殿は、堅魚木は偶数、千木の先端は水平(内削うちそぎ)です。
こうして新旧の写真を比較してみると、
なぜか昔の写真により多くの神性を感じるような気がします。
私が更に俗物になったからかな?
...内宮へ(続く)
伊勢神宮の40年前の景色:外宮(補遺) ― 2013年10月06日
(前回)の「外宮編」の続きで「内宮編」を書くため、
1993年の内宮の写真を整理していました。
第六十一回ご遷宮の年です。
ここで驚き!
それとは別に、記憶にない伊勢神宮の写真が20枚ほど出てきました。
日付は式年遷宮の前年の1992年11月です。
一緒に纏められていた写真から判断すると、どうも
仕事仲間と伊勢志摩に旅行して、その帰途に神宮に寄ったらしいです。
という事は、前回の遷宮の頃、私は二年続けて参拝していた事になります。
昔の事なので、それを纏めて一回分の記憶としていたようです。
いい加減なものですね。
それはともかく、せっかく見つけた昔の写真なので、
前回の外宮編の補遺として以下に追記する事にしました。
「同じ」社殿で今年の撮影分があるものに付いても併せて載せました。
まず、手水舎を左に見て、正面に第一鳥居です。
1993年の内宮の写真を整理していました。
第六十一回ご遷宮の年です。
ここで驚き!
それとは別に、記憶にない伊勢神宮の写真が20枚ほど出てきました。
日付は式年遷宮の前年の1992年11月です。
一緒に纏められていた写真から判断すると、どうも
仕事仲間と伊勢志摩に旅行して、その帰途に神宮に寄ったらしいです。
という事は、前回の遷宮の頃、私は二年続けて参拝していた事になります。
昔の事なので、それを纏めて一回分の記憶としていたようです。
いい加減なものですね。
それはともかく、せっかく見つけた昔の写真なので、
前回の外宮編の補遺として以下に追記する事にしました。
「同じ」社殿で今年の撮影分があるものに付いても併せて載せました。
まず、手水舎を左に見て、正面に第一鳥居です。
手前の橋は「表参道火除橋」です。外宮参拝のスタートです。
西側の正宮にお参りする人々。昨日10/05の外宮のご遷宮は、
まさにここに建てられた新正殿に東側からお遷りになられた事になります。
西側の正宮にお参りする人々。昨日10/05の外宮のご遷宮は、
まさにここに建てられた新正殿に東側からお遷りになられた事になります。
階段を上がったところにある別宮「多賀宮」
前回も取り上げた別宮の「土宮」
二つの写真を見比べると、東西の社殿が入れ替わっている事が分かります。
これから新社殿を建てる隣接敷地は古殿地(こでんち)といいます。
その古殿地の中央奥には小さな覆屋(おおいや)が写っています。
この中に心御柱(しんのみはしら)が納まっているのですね。
見てみたいものです。
これも別宮の「風宮(かぜのみや)」
これから新社殿を建てる隣接敷地は古殿地(こでんち)といいます。
その古殿地の中央奥には小さな覆屋(おおいや)が写っています。
この中に心御柱(しんのみはしら)が納まっているのですね。
見てみたいものです。
これも別宮の「風宮(かぜのみや)」
これも東西が入れ替わっていて、空地の方には覆屋が見えます。
外宮敷地の北西部には御厩(みうまや)があって神馬がいました。
外宮敷地の北西部には御厩(みうまや)があって神馬がいました。
最後にまた手水舎のところまで戻って来ました。
その東側には勾玉池があります。
池にせり出した奉納舞台は、多分同じ場所で更新されていると思います。
伊勢神宮の40年前の景色:内宮1 ― 2013年10月07日
(前回)からの続きです。
内宮のお薦め参拝ルートに沿って写真を載せたいと思います。
写真は40年前、20年前そして今年のものですが、
それぞれ使用カメラと写真の特徴は次の通りです。
・40年前:ミノルタ Minolta SR-7、水墨画風のモノクロ写真
・20年前:フジ カルディアトラベルミニ(大衆機)、ゆるいカラー写真
・今年分:ニコン Nikon D600、カラーデジタル高精細写真
まず、外宮からバスで行くと宇治橋前の駐車場広場に着きます。
参宮案内所があります。
内宮のお薦め参拝ルートに沿って写真を載せたいと思います。
写真は40年前、20年前そして今年のものですが、
それぞれ使用カメラと写真の特徴は次の通りです。
・40年前:ミノルタ Minolta SR-7、水墨画風のモノクロ写真
・20年前:フジ カルディアトラベルミニ(大衆機)、ゆるいカラー写真
・今年分:ニコン Nikon D600、カラーデジタル高精細写真
まず、外宮からバスで行くと宇治橋前の駐車場広場に着きます。
参宮案内所があります。
今年はこうです。案内所の位置が変わってる程度の違いです。
93年には機動隊がいました。ご遷宮直前だからでしょう。
ガイドさんの衣装が何となく懐かしめです。
今年はこうです。
昔は駐車場広場から宇治橋の美しい姿を一望できたのに、
今年は樹々に邪魔されてほとんど見えなくなりました。残念。
宇治橋は右側通行です。92年です。
宇治橋から見下ろす五十鈴川の光景は、全く変わっていません。93年と今年。
下の写真で、火除橋越しに第一鳥居が見えます。
今年の第一鳥居です。
この鳥居を過ぎて右前方へ進むと、五十鈴川の川岸へおりる事ができます。
93年の下の写真のように川岸は石畳になっています。
ここが御手洗場(みたらしば)です。
93年の下の写真のように川岸は石畳になっています。
ここが御手洗場(みたらしば)です。
御手洗場から眺める五十鈴川も40年間変わらぬ景色です。
巷間言われている通り、最近の参拝客は若い女性が多いです。
その後、第二鳥居をくぐり正宮を目指します。
その後、第二鳥居をくぐり正宮を目指します。
伊勢神宮の40年前の景色:内宮2 ― 2013年10月08日
その杉木立を迂回するように右側に廻ったところが正面です。
正宮には、参道の奥(東側)と手前(西側)の二つの敷地があります。
1973年に下の写真を撮影した時、皆さんがお参りしている現社殿は東側でした
正宮には、参道の奥(東側)と手前(西側)の二つの敷地があります。
1973年に下の写真を撮影した時、皆さんがお参りしている現社殿は東側でした
今年も同じ状況ですが、「遷御の儀」に備えて、
石段と通路に仮設屋根がかかっていました。
石段と通路に仮設屋根がかかっていました。
次は西側の73年の写真です。
板垣越しに外玉垣南御門の真新しい萱葺(かやぶき)屋根が見えています。
この屋根が92年には次のように苔むしていました。
この屋根が92年には次のように苔むしていました。
そして翌年の御遷宮の年に、ここには次のように仮設屋根がかけられました。
93年には、ここから大御神がお出になりました。
今年も次の写真のように仮設屋根がかかっていますが、
今度は、こちの新正殿にお戻りになられる番ですね。
今年も次の写真のように仮設屋根がかかっていますが、
今度は、こちの新正殿にお戻りになられる番ですね。
「遷御の儀」は先週の10月2日に済んでいるので、
既にこちら側が現社殿になっているはずです。
一般人は外側の御門から参拝するだけで「御正殿」には近づけません。
こんな感じで、樹木と板垣越しに、それこそ垣間見るだけです。
既にこちら側が現社殿になっているはずです。
一般人は外側の御門から参拝するだけで「御正殿」には近づけません。
こんな感じで、樹木と板垣越しに、それこそ垣間見るだけです。
「御正殿」の建築様式は「唯一神明造」といいます。
この様式を間近に確認できる建物が正宮の西側にあります。
一つは御稲御倉(みしねのみくら)です。
もう一つは外弊殿(げへいでん)です。
どちらも「神明造」の様式で造られています。
建物の妻側壁面から少し離れた位置に立つ棟持柱が特徴的です。
地面の中に先端を突っ込んだだけで基礎を持たない所謂「掘立柱」です。
柱の原始的な工法にも関わらず、屋根を見ると実に繊細な意匠です。
風穴を穿たれた千木の繊細さとか、
棟上に並べられた鰹木の微妙な丸さ加減とか実に不思議ですね。
この純朴でかつ研ぎ澄まされた美しさを持つ建物は、
何時間見ても飽きる事がありません。
正宮の周囲を廻って裏手にまわると、
参拝客も少なくなり、落ち着いた雰囲気が味わえます。
上の写真の中央から左下へおりる階段があります。
その階段の1973年5月と今年の9月の写真を次に載せます。
その階段の1973年5月と今年の9月の写真を次に載せます。
石段の片側に手摺が追加されていますが、同じ景色です。
感じが異なるのは、樹木の茂り方や光の射し方のせいかも知れません。
この階段を降りたところに、
内宮の第一別宮である「荒祭宮(あらまつりのみや)」があります。
次の写真は1992年当時、築約20年の荒祭宮の社殿です。
左側に見える蔽いの中では新社殿が造られていました。
感じが異なるのは、樹木の茂り方や光の射し方のせいかも知れません。
この階段を降りたところに、
内宮の第一別宮である「荒祭宮(あらまつりのみや)」があります。
次の写真は1992年当時、築約20年の荒祭宮の社殿です。
左側に見える蔽いの中では新社殿が造られていました。
次の写真は上の写真と同じ場所に最近新築された新社殿です。
左側に旧社殿が少し写っています。
この旧社殿は、上の写真で蔽いの中に造られていたものです。
左側に旧社殿が少し写っています。
この旧社殿は、上の写真で蔽いの中に造られていたものです。
伊勢神宮の40年前の景色:おはらい町 ― 2013年10月09日
この別宮は内宮参道から神楽殿手前を南へ道を逸れて、
五十鈴川の支流である島路川(しまじがわ)を渡ったところにあります。
この島路川にかかる橋を風日祈宮橋といいます。
なぜか私はここに来るとカメラを構えたくなるらしく、
参道側から橋を撮影した写真が3枚揃いました。
五十鈴川の支流である島路川(しまじがわ)を渡ったところにあります。
この島路川にかかる橋を風日祈宮橋といいます。
なぜか私はここに来るとカメラを構えたくなるらしく、
参道側から橋を撮影した写真が3枚揃いました。
20年、40年経っても、ここの景色は変わりませんが、
撮影機材の違いで、写真の感じが随分変わります。
ひととおり内宮参拝を済ませて、帰路につきました。
宇治橋鳥居をくぐり、
撮影機材の違いで、写真の感じが随分変わります。
ひととおり内宮参拝を済ませて、帰路につきました。
宇治橋鳥居をくぐり、
宇治橋を再度渡ります。
この写真を見ても若い女性の多い事が分かります。
ここで、少し遅めの昼食を取る事にしました。
女性に人気の「おはらい町」と「おかげ横町」の見物も兼ねてです。
この界隈は食べ物屋さんがひたすら並んでいるのですね。
事前調査をしておかないと、選ぶのに一時間くらいかかるでしょう。
私の選択は「すし久」です。
ここで、少し遅めの昼食を取る事にしました。
女性に人気の「おはらい町」と「おかげ横町」の見物も兼ねてです。
この界隈は食べ物屋さんがひたすら並んでいるのですね。
事前調査をしておかないと、選ぶのに一時間くらいかかるでしょう。
私の選択は「すし久」です。
ここの「てこね寿し」を食べました。
私は「ずけ丼」の類いが大好きなのです。
その他、伊勢えびコロッケと松坂牛の串焼きと焼きガキとへんば餅に「じゅるるる〜」だったのですが、そんなには食べられないので、次回(ってあるのか?)のお楽しみとなりました。
最後に、おはらい町から少し足を延ばして「猿田彦神社」へ行きました。
その他、伊勢えびコロッケと松坂牛の串焼きと焼きガキとへんば餅に「じゅるるる〜」だったのですが、そんなには食べられないので、次回(ってあるのか?)のお楽しみとなりました。
最後に、おはらい町から少し足を延ばして「猿田彦神社」へ行きました。
ここは以前にも来た事があります。
1992年の11月15日、まさに七五三の日でした。(7+5+3=15日)
1992年の11月15日、まさに七五三の日でした。(7+5+3=15日)
伊勢神宮の風景に子供の姿は調和しないと思いますが、
この神社では、逆にたくさんの子供がいるのが良い雰囲気でした。
この子たちも、今では二十七、二十五、二十三歳になってるんですね。
(この項終り)
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