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40年前の護国寺、節分の豆まきは夜だった ― 2014年01月22日
節分が近づいてきました。豆まきをどうしようか?
各家庭で、こんな青鬼を退治するのも良いかも知れませんが、
例年、私は近くの鬼子母神などに行くことが多いです。
大塚の「護国寺」でもやるようです。
今年も議員、区長、関取衆、芸能人などを呼び、昼間の13時〜16時に開催されます。
そういえば、丁度40年前の1974年は護国寺に行きました。
下の写真はその時の本堂前の様子です。
例年、私は近くの鬼子母神などに行くことが多いです。
大塚の「護国寺」でもやるようです。
今年も議員、区長、関取衆、芸能人などを呼び、昼間の13時〜16時に開催されます。
そういえば、丁度40年前の1974年は護国寺に行きました。
下の写真はその時の本堂前の様子です。
これは豆まき開始前ですが、この日ばかりは、参拝者数が多いですね。
既に薄暗くなって、ほとんど日が暮れていたのが分かります。
この護国寺、普段は、寺院の規模から言うと訪れる人は少なめに感じます。
下の写真は昨年12月のものです。
既に薄暗くなって、ほとんど日が暮れていたのが分かります。
この護国寺、普段は、寺院の規模から言うと訪れる人は少なめに感じます。
下の写真は昨年12月のものです。
本堂の姿は昔と同じです、と書こうと思ったら、大きな違いがありました。
本堂中央の大きな吊提灯(?)、昔の写真には見当たりません。
今は護国寺の特徴になっています。
下の写真の仁王門や不老門にも付いています。
本堂中央の大きな吊提灯(?)、昔の写真には見当たりません。
今は護国寺の特徴になっています。
下の写真の仁王門や不老門にも付いています。
さて、40年前は豆まきが始まるまで獅子舞が参拝者を楽しませてくれました。
そして、ひょっとこも。
写真左下の女の子も楽しそうに見ていますね。利発そうな可愛い表情です。
多くの人が集まるので、万一の事故に備えて大塚署の警官が待機していました。
多くの人が集まるので、万一の事故に備えて大塚署の警官が待機していました。
ここだけ何か物々しい雰囲気でした。
現在はこの場所も次の写真のようにのどかな境内です。
現在はこの場所も次の写真のようにのどかな境内です。
四阿の母子、下の写真は釈迦像の下で寛ぐ女性。
この二枚、白黒ですが昨年暮れの撮影です。
お釈迦様の右後ろに、講談社の高層オフィスが半分写っているので、40年前の写真ではないことが一目瞭然ですね。
豆まきが開始される時間になると、もうあたりは真っ暗でした。
警官達の表情も一層引き締まっていました。
お釈迦様の右後ろに、講談社の高層オフィスが半分写っているので、40年前の写真ではないことが一目瞭然ですね。
豆まきが開始される時間になると、もうあたりは真っ暗でした。
警官達の表情も一層引き締まっていました。
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