▪️次のボックスに適当な文字列(複数可)を入力して、当ブログ内を検索できます ▪️下の目次タイトルをクリックするとテーマ別過去記事の目次へ飛びます
    ・目白の風景 今昔:目次
    ・吉祥寺の風景 今昔:目次
    ・昔と今の写真(番外編):目次
    ・地中海バブル旅行etc.:目次
    ・旅のつれづれ:目次
    ・母のアルバム:目次
    ・目白ジオラマ鉄道模型:目次
    ・すべてのカメラに名前がある:目次

鬼子母神境内 この建物は?2014年01月04日

前回)からの続きです

昔の写真を改めて観察すると、
「あれ〜、こうだったかな?」と思う事がありますよね。
例えば次の写真です。
ツインテールの女の子

ツインテール(って言うのか?)のそっくりな女の子が二人写っているでしょう。
「あれ、はるみちゃんって双子だったかな?」と疑問になりますよね。
まあ、種を明かすと、これは単に合成写真だから不思議ではないです。
左半分と右半分の写真を張り合せたのです。
それではなく、今日の本題は、
手前のはるみちゃんの上に少し覗いている瓦屋根です。
万代塀に囲われた駄菓子屋と遠方のお堂の間に、
瓦屋根の建物があるように見えます。

境内入口からの写真も見てみます。
参道から見た鬼子母神
左側の仁王像の奥に駄菓子屋のトタン屋根、更にその奥に瓦屋根が見えています。

この駄菓子屋さんの裏手が現在どうなっているかを、
参道側から確認するとこうです。
上川口屋裏手の空き地
何の建物もありません。鬼子母神公式HPの配置図でも何もありません。

1975年当時は何が建っていたのだろう、と思い文献をあたると、
三吉朋十著「雑司ヶ谷鬼子母神」(1978年)の参考写真に
こんな瓦屋根の建物がありました。
昔の法不動堂
写真左の万代塀、建物手前の二本の石灯籠から判断して、
さっきの写真と同じ方角から撮ったものです。
そして、著者の手書きで「石灯篭、不動前」と書いてあります。
これは「法不動堂」の昔の姿かもしれない、と推察しました。

現在の法不動堂はこうです。
現在の法不動堂
屋根の材料と形状については、参考写真の建物が瓦葺きの寄せ棟であるのに対して、現在の法不動堂は銅板葺きの入母屋です。
でも、これは本堂の改修(瓦から銅板へ)に併せて行われた
と考えれば納得がいきます。
それに、
お堂前面に張られた「白地に紋入りの幔幕」が同じものと見受けられます。
(ちなみに、紋の形状は
 鬼子母神ゆかりのザクロを輪切りにしたように見えますね)

これらから私は、「法不動堂」が
境内中央部から南側の敷地境界近くへ移されたのだろうと考えました。
この推論を確実にするために、
現在の法不動堂が建っている場所の40年前の様子を確認しました。
そこが空地であれば、推論の正しさがほぼ証明されます。

上の写真で、
お堂の右横にカヤと「一字一石妙経塔」が写っています。
拡大するとこうです。
一字一石妙経塔
このセットに注目します。
昔の写真をつぶさに調べました。
昔の本堂前の風景
狛犬の左奥に「一字一石妙経塔」が辛うじて確認できます。
その左にカヤがあり、
更にその左の、現在のお堂の場所は空地だったことが分かります。
推論の正しさが証明されました。

この移築の目的は私には分かりません。
でも移築により境内の中央部は次の写真のように広がりました。
法不動堂の跡地

毎年ここに唐十郎さんの「紅テント」が張られます。
昨年も映画『彌勒 MIROKU』の生演奏版が上演されたそうです。
そんな縁で、唐十郎さんは、節分恒例の豆撒きにも必ず参加されます。
鬼子母神の節分豆撒きの唐十郎
これは一昨年の節分です。写真中央に写っていますね。
他にも著名人が沢山来ます。さすが天下の鬼子母神。

この日、お寺の「カメラ小僧」も、
「法不動堂」脇の銀杏の下でひたすら記録写真を撮っていました。
鬼子母神のカメラ小僧
Canonの一眼レフに高価なレンズ!
それに感心している右側の青年達も、立派なカメラを持っていますね。

皆たくさん写真を撮って、それを40年後にきっと懐かしく眺めることでしょう。

続く