▪️次のボックスに適当な文字列(複数可)を入力して、当ブログ内を検索できます ▪️下の目次タイトルをクリックするとテーマ別過去記事の目次へ飛びます
    ・目白の風景 今昔:目次
    ・吉祥寺の風景 今昔:目次
    ・昔と今の写真(番外編):目次
    ・地中海バブル旅行etc.:目次
    ・旅のつれづれ:目次
    ・母のアルバム:目次
    ・目白ジオラマ鉄道模型:目次
    ・すべてのカメラに名前がある:目次

マドンナも泊まった「エデンロック」2015年10月13日

世の中には高貴な方々がいらっしゃって、
その方達にだけ許された世界があるんだ、ということを実感させてくれたホテル。
ホテル_デュ_カップ_エデンロック
名前は"HOTEL DU CAP EDEN ROC"「ホテル デュ・カップ エデンロック」
南仏のニースとカンヌの間にあるアンティーブ岬に人知れず建っていました。
次の写真はホテルの絵はがき。ホテルを更に上空から眺めています。
エデンロック空撮
第一次大戦前は欧州の富豪の邸宅だったらしい。
私が訪れた当時、日本語のガイドブックでは全く取り上げていませんでした。
それは、一般人が紹介者なしに泊まるのは難しかったからでしょう。

01

02
この写真でも分かるとおり、ホテルエントランスは小さめです。
なぜなら大きくする必要性が全くないからです。

次の写真は、エントランスのすぐ内側にある螺旋階段とガラスのエレベーター。
03
危険はないか? 大丈夫です。
なぜなら、このホテルに子連れで来るような人はいないから。
それと、これは意見が分かれる所かも知れませんが、
当時のTARIFFには、"DOGS ARE NOT ADMITTED"と注意書きがありました。
要は、そういう場所であり、そういう時代だった訳ですね。

螺旋階段の脇を通るとラウンジです。
04

このラウンジから地中海に向かって「大プロムナード」が伸びていました。
05
これは夕方、逆光の景色です。
この景観にあまりに感激したので、翌朝も撮りました。次の写真です。
06
海の方から逆方向の写真も撮りましたよ。
07
私が写り込んでいますが、正直この場には似合っていませんね。

やはり、この庭園には上品な高齢の紳士淑女がふさわしいと思います。
例えば、次のように庭園を散歩する女性とその御主人。
08

09

また、室のテラスでくつろぐ男性。
10

現天皇陛下は、皇太子時代に御宿泊されたそうです。
また、マドンナがニースでコンサートを開いた時に、
ここに宿泊して、庭で早朝ジョギングをしていたそうです。
多分、何の特別な警護もなしだったろうと思います。
そんな風に、特別な方々が自然体で普通に寛げるホテルだったんですね。

今はどうか知りません。
私みたいな日本人が、
「金」と「カメラ」を持って泊まりに来るようになっていたら、
雰囲気は台無しだろうな。

続く

至高の無の「エデンロック」2015年10月17日

前回)からの続きです。

私達のような一見さんは、さすがに本館には泊まれなくて別館でした。
その別館のエントランスがこれ。「ちびくろ」がお出迎え。
エデンロックにちびくろ
何か植民地時代を思わせるような立像でした。
きっと今は使われていないだろうと思いますが、雰囲気ありましたね。

次のラウンジも素敵でしょう?
アネックスラウンジ
普通だと、こういう所に新聞雑誌などが置いてありますが、見当たりません。
だいたい館内で新聞を全く見かけませんでした。
皆さん、俗事に惑わされたりしないんでしょうね。

次の三枚は室内の写真。
客室1
ファブリックが垢抜けています。
次のテーブルも上品です。
客室2
このテーブルの上もさっぱりしています。
普通のホテルでは、ガイドやインストラクションのパンフ等が山積みされている所です。
そういう案内書的なものは全く無し。
常連がほとんどだから、「何をいまさら」なのでしょう。
客室3
このドレッサーの上も何も無し。
そういえば、洗面所にも何も無かったのです。
普通のホテルは、ミニボトルの化粧品や歯ブラシ・石けん・シャワーキャップなど、
いわゆる「アメニティー・グッズ」が所狭しと並んでいますよね。
そして、その充実ぶりを競ったりしています。
私は、そこで、しばし考えて気が付きました。
「そうか!このホテルを利用する客は、お仕着せのアメニティーなど使わないんだ。
 化粧品も歯ブラシも自分が使い慣れたものを持ってくるんだ」とね。

本館のロビーにレセプションがありましたが、次のように小さなものでした。
ここに知的な感じの女性が一人いただけ。
レセプション

チェックアウトの時に、ここでカードで支払おうとしたら、
"CREDIT CARDS NOT ACCEPTED"でした。
やむなく現金で支払ったのですが、
そういえば私達以外には、ここで精算している人って一人も見かけませんでした。
長逗留の人たちが多いということだけでなく、
「チェックアウト時に利用料を精算する」という
いかにも事務的なシステム自体がこのホテルの雰囲気にそぐわないのかも。
だいたい、皇太子殿下やマドンナが、このカウンターの前に立って、
お財布を広げている姿って想像できないでしょう?

続く

コートダジュールで青春2015年10月20日

前回)からの続きです。

「ホテル デュ・カップ エデンロック」を特徴付ける「大プロムナード」の先端の写真です。
エデンロックから地中海
飾り列柱(バラストレード)がオシャレな雰囲気です。
その先は、もう地中海の紺碧海岸(コートダジュール)ですね。
海側から見ると、次のように海岸線はゴツゴツした岩場です。
コートダジュールの岩場

そして、この岩場をくり抜いてホテルのプールがありました。
エデンロックのプール
また、プールに隣接してクラブハウスとレストランがありました。
クラブハウス
岩場のすぐ上の1階がサンデッキ、2階がテラスレストランになっています。

岩場の上から、次のように雰囲気あり過ぎ!の階段を下りて行くと、
海へ下りる階段
地中海への飛び込み台があったり(恐ろし!)
飛び込み台
船着き場がありました。
船着き場

当日、船着き場のデッキには、この写真のようにモーターボートが横付けされ、
いかにも金持ちの御子息、といった感じの若者達が乗り込む所でした。
そして、彼等を乗せたモーターボートは、
夕陽を受けながら沖合のクルーザーへと向かって行きました。
クルーザー
そのクルーザーでは、船中パーティーでも開かれていたのでしょうか、
一晩中、灯がともっていましたよ。
船上のパーティー

世の中には、こんなバカンスを楽しんでいる若者っているんですね。
やっぱり、そんな青春に、ちょっとだけ憧れちゃいますよね。

(まだ続く

ここなら口説ける「エデンロック」2015年10月22日

前回)からの続きです。

前回、紺碧海岸(コートダジュール)に臨むレストランを紹介しました。
夜になると、周辺の別荘地からもこのレストランに紳士淑女が集まってきます。
そのためのエントランスが次の写真です。
エデンロックレストラン入口
高級車で乗り付けた人達は手入れの行き届いたガーデンを通り、
02
レストラン棟のエントランスに至ります。
03
このエントランスは夜になると、次のように更に大人びた雰囲気になります。
04
そして、ゲスト達は仄暗いラウンジを抜けて、
05
テラス席に座ります。私達一行もここに席を取りました。
06
ちょっと暗いけど、このテーブルにこれから素敵なキャンドルが灯るのですよ。

お給仕してくれるのは、白のブレザーでビシッと決めた紳士達。
07
ちょっと観察してみた所、
従業員の持ち場は、年齢と性別で明確に区分されていて、
メイドの仕事はもちろん女性だけ、
プールサイドはショートパンツ姿の若い男性だけ、
そしてフォーマルな場所でゲストにサービスできるのは年配の男性だけでした。
格式があるなー、と感じちゃいます。

次の写真はレストラン棟の夜景です。左側にテラス席が写っています。
08
このテラス席で、洋上のクルーザー(前回紹介)などを眺めながら食事をしました。
09
いただいたものは、
フォアグラサラダ、ビシソワーズスープ、スズキのムニエル等ですが、
この際メニューは何でも良く、その場の雰囲気が全てでしたね。

その時の私達(男だけ)の会話では、
「ここで口説かれて、落ちなかったら女じゃないな!」という不穏当な発言も。
(実際、私もその見解に同意したい気持ちになりました)
次の写真は食事の最後に「プチフール」が出てきた所です。
10
ここに写っている男性二人、いずれもこの時は三十代の独身。
二人とも、この数年後に結婚したのですが、
彼女を「エデンロック」に連れて来て口説いたのでしょうかね?

次は、海上から見たホテル全景。
11

(この項終り)

マミヤ二眼レフのポロファインダー修理2015年10月25日

私の持っている二眼レフ「マミヤ Mamiya C220 Professional」、
フル装備すると次のようにとても勇ましいです。
01
これを持って"walk & shoot"すると、レンズから弾丸が飛び出して来そうです。

ただ、残念なことに頭に乗っているファインダーの調子が悪いのです。
正式名称は「CdSポロファインダー」と言います。
(なぜか"d"だけが小文字です)
カメラから外して、そのファインダーの下側を覗いてみると、こうです。
02
ガラスにクモリと埃・カビがあります。

接眼部から覗いてみるとやっぱりひどい。
03
また、斜めに迫り出して来ている腕木の先の丸型が露出計の受光部なのですが、
メーターが生きていません。

テスターを電池収納部に当てて抵抗値を測定してみると、電流はゼロ。
04
すなわち、抵抗値は無限大 → どこかで断線している、ことになります。

このファインダーの保証書がなぜか残っていました。
04a
これを使って無償修理してもらえるでしょうか?
昭和59年5月7日の購入で、それから一年間が有効期間ですから、
え〜っと、計算してみると、
「残念!」、ちょうど三十年前に保証期間は終わっていますね。

やむを得ず自分で修理することにしました。まず分解。
05
左から、貼り革、金属カバー、ファインダー本体です。
金属カバーとファインダーのガラスの間に、
緩衝剤として入っていたモルトが劣化してボロボロです。
これがミラーボックスに埃として入り込んでいたのですね。
このモルトは無くても差し支えなさそうなので、
アルコールで全て取り除くことにします。

メーター調節用の可変抵抗が次です。三つありました。
06
この付近には接触不良とか断線はなさそうです。

いよいよ、ミラーボックス内をチェックしてみます。
下部のガラスを外しました。
07
ガラス右側にスイッチと、それに連動するアーム及び受光部があり、
ガラス左側にはメーターの指針が見えています。

やっぱりスイッチが怪しいので、バラしてチェックします。
08
プラスチックの扇形のスイッチを「OFFからON」にすると、
それに連動して腕木先端の受光部が画面中央部に出て来て、
その中央部の明るさをチェックする機構になっています。
(いわゆる中央部スポット測光)
その状態で回路がつながるように、接触式の金属片が仕込まれています。
その片方の接点として、ベークライトに銅板が貼られていますが、
見事に緑青を吹いていますね。
これでは接触不良になるはずです。

その緑青をドライバーの先端で削り落としました。
09
この写真で、銅板の素地が現れてピカピカに輝いているでしょう?

修理を完了して再組み立てしているところ。
10a
このように見違えるほど奇麗になりました。
ガラスは一点のクモリも無くクリアーに、
メーターは光に反応して針が振れるようになりました。

そして普通のウエストレベルファインダーから、
11
CdSポロファインダーに付け替えました。
12
このはみ出し感が何とも大胆で素敵です。

当時、ファインダーの指定電源は銀電池の「S-76」でした。
これはもう手に入らないので、同サイズで同電圧の「LR44」を入れました。
そして、次のようにしてメーターチェックを行ないました。
13
カメラの左側についているのが比較用の「コシナVCメーター」。
均一に照らされた壁面にカメラを向けて、
二つのメーターの示す数値を比較したところ、約一段のずれでした。
まあ、実用域にあるといえます。
先にあげた三つの可変抵抗で微調整が可能なはずですが、
どれがどれか分からないので、このまま使うことにしました。

というよりも、
このデカいファインダーを付けた二眼レフを本当に使うかな?
首からぶら下げて街を歩いたら、きっと目立ち過ぎでしょう。
銃刀法所持で逮捕されるかも知れません。

でも、逮捕される危険を冒して夕方の街をshoot!
001

003
CdSメーターはバッチリ!でした。