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補助81号線のもじゃハウス2 ― 2013年04月17日
さて、補助81号線の事業は都電荒川線に沿って、
東池袋四丁目駅からその北側の向原駅までも実施されています。
前回取り上げた雑司ヶ谷エリアの事業を「南池袋地区」と呼ぶのに対して、
こちらは「東池袋地区」とされています。
この地区では、道路整備だけでなく、
再開発の手法による「木造密集地域」の解消が都市計画上の大きなテーマです。
そのため、東京都が今年6月までに指定する「木密不燃化特区」12地区の中に、
この「東池袋4・5丁目」も含まれています。
指定されれば、再開発事業を行う場合の手厚い支援が用意される一方、
反対する住民に対して、強制的に土地を収用することも可能となるそうです。
都と区は7年後の完了(不燃領域率70%)を目指しています。
東池袋四丁目駅の100mほど北にある踏切から、向原駅方面を写してみました。
中央にこれまた立派な「もじゃハウス」が写っていますね。
でも、その手前が空き地になっているように、
この建物も消え去るのは時間の問題なんでしょうか?
この周辺、散歩してみるとまっすぐ歩けません。
あれれ! という感じで、思わぬ回り道を強いられます。
だから急ぐ時は造幣局の周囲の真っ直ぐな道を通ります。
こちらはちょっと散歩するには味気ない道です。
その造幣局の東南の角から、西側にサンシャインを望んでみました。
でも、その手前が空き地になっているように、
この建物も消え去るのは時間の問題なんでしょうか?
この周辺、散歩してみるとまっすぐ歩けません。
あれれ! という感じで、思わぬ回り道を強いられます。
だから急ぐ時は造幣局の周囲の真っ直ぐな道を通ります。
こちらはちょっと散歩するには味気ない道です。
その造幣局の東南の角から、西側にサンシャインを望んでみました。
サンシャインの南側を通って東急ハンズまで、「見事な」直線道路です。
造幣局の南側のこの道路は補助176号線と呼ばれています。
そして、あと30mで都電にと言うか補助81号線につながるんですね。
サンシャインと逆の東側を見てみたのが下の写真です。
造幣局の南側のこの道路は補助176号線と呼ばれています。
そして、あと30mで都電にと言うか補助81号線につながるんですね。
サンシャインと逆の東側を見てみたのが下の写真です。
崖になってますが、前方に線路敷が見えます。
残り30m分は、もう空地になっていて道路として整備されるのを待つばかりです。
(そして、写真中央左目にも、またまた、もじゃハウスがありますね)
この補助176号線の事業は、補助81号線に合わせてH28年3月31日が事業完了予定です。
道路は真っ直ぐに、建物は強固に、そして「もじゃ率」はやっぱり低下するんでしょうか?
下に広域図を載せました。
残り30m分は、もう空地になっていて道路として整備されるのを待つばかりです。
(そして、写真中央左目にも、またまた、もじゃハウスがありますね)
この補助176号線の事業は、補助81号線に合わせてH28年3月31日が事業完了予定です。
道路は真っ直ぐに、建物は強固に、そして「もじゃ率」はやっぱり低下するんでしょうか?
下に広域図を載せました。
補助81号線のもじゃハウス1 ― 2013年04月16日
この写真、昨年アポランター90mmというライカ用の望遠レンズを買った時に、
その写り具合を確認するために雑司ヶ谷周辺を撮影した内の一枚です。
実は、この「もじゃハウス」、私の好きな建物というか風景です。
大塚駅から都電に乗って早稲田方面へ向かい、この風景が見えてくると、
雑司ヶ谷に近づいたな、と感じる訳です。
雑司ヶ谷駅の北側は、昔の都電風景が残っているんです。
だいたい、都電そのものも、かなり「もじゃ」してますよね。
さっきの写真の次に、都電の現役の線路も撮影したのですが、こんな具合でした。
その写り具合を確認するために雑司ヶ谷周辺を撮影した内の一枚です。
実は、この「もじゃハウス」、私の好きな建物というか風景です。
大塚駅から都電に乗って早稲田方面へ向かい、この風景が見えてくると、
雑司ヶ谷に近づいたな、と感じる訳です。
雑司ヶ谷駅の北側は、昔の都電風景が残っているんです。
だいたい、都電そのものも、かなり「もじゃ」してますよね。
さっきの写真の次に、都電の現役の線路も撮影したのですが、こんな具合でした。
まるで廃線となった電車の路線を懐かしんでいるかのようです。
ところで、昨年9月に、明治通りのバイパス(環状第5の1号線)が
目白通りから雑司ヶ谷駅まで、都電線路沿いに開通しました。
その直前の8月に撮影した下の写真の左側にも、
この「もじゃハウス」が存在感を持って写っていました。
ところで、昨年9月に、明治通りのバイパス(環状第5の1号線)が
目白通りから雑司ヶ谷駅まで、都電線路沿いに開通しました。
その直前の8月に撮影した下の写真の左側にも、
この「もじゃハウス」が存在感を持って写っていました。
そして、雑司ヶ谷駅北側の都電沿いの風景について、この日のブログにはこう書きました。
『実はこの区間にも都市計画道路「補助81号線」の計画があります。でも両側の民家などが接収されて道路が築造されるのはずっと先の事でしょうから、しばらくはこの景色が楽しめるはずです。』
ところが、昨日、この雑司ヶ谷駅周辺を散歩していたら、
もじゃハウスはすっかり解体されていました。
逆から見るとこうです。
この都電沿いの道路整備事業は、現在、かなりのスピードで進捗しているようです。
豊島区の公式HPにて事業概要を確認してみました。
ホワイトデーなら「ルート デュ ショコラ」 ― 2013年03月04日
バレンタインやホワイトデーが過熱していた四半世紀ほど昔、
私も山のような(?)義理チョコのお返し選びに日曜日の半日を費やしました。
最近はややクールダウンしていると思いますが、
やっぱりお返し選びはそれなりのセンスが必要ですよね。
デパ地下でGODIVAの高額なチョコを買うだけでは何か物足りないな、
と思われる男性にお薦めなのが、"99 ROUTE DU CHOCOLAT"です。
目白駅から西へ向かって歩いて数分、ピーコックの少し手前にあります。
私も山のような(?)義理チョコのお返し選びに日曜日の半日を費やしました。
最近はややクールダウンしていると思いますが、
やっぱりお返し選びはそれなりのセンスが必要ですよね。
デパ地下でGODIVAの高額なチョコを買うだけでは何か物足りないな、
と思われる男性にお薦めなのが、"99 ROUTE DU CHOCOLAT"です。
目白駅から西へ向かって歩いて数分、ピーコックの少し手前にあります。
「音符を紡いで一つの曲が作られるようにチョコレートは一粒一粒手作りされて
“贈り物”という作品として皆様のお手元に届きます」
というのがお店からのメッセージだそうです。
まさに「チョコレートの正道」ですね。
お店の外観も目白通りにふさわしいスケールで好ましいです。
下の写真の2階建ての建物の1階部分がこのお店です。
“贈り物”という作品として皆様のお手元に届きます」
というのがお店からのメッセージだそうです。
まさに「チョコレートの正道」ですね。
お店の外観も目白通りにふさわしいスケールで好ましいです。
下の写真の2階建ての建物の1階部分がこのお店です。
やはり目白通りには小ぶりのお店が似合います。
「ピンクのカーテン」(2)池袋編 ― 2013年02月06日
---(前回)からの続きです。
映画「ピンクのカーテン」の撮影は、池袋駅周辺でも行われています。
何度も登場するのが「南池袋公園」です。
次の場面は、悟と野理子が駅側から公園に入ってくる所です。
公園中央にあった噴水越しに撮影されたようです。
映画「ピンクのカーテン」の撮影は、池袋駅周辺でも行われています。
何度も登場するのが「南池袋公園」です。
次の場面は、悟と野理子が駅側から公園に入ってくる所です。
公園中央にあった噴水越しに撮影されたようです。
正面には西武百貨店の窓が写っています。
現在は波形模様の金属パネルが上貼りされて一寸モダンに見せています。
通り右側に「キンカ堂」の袖看板が見えます。
2010年にキンカ堂倒産後、池袋店は閉鎖され、今はパチンコ”Rakuen”となっています。
この公園周辺はラブホテルが多い所です。
私はかつて、そのホテルオーナーのご子息に数学を教えていた事がありました。
週に一度、家庭教師としてホテル近くのご自宅へ通ってました。
スポーツも勉強も頑張り屋のご子息は、疲れて眠気が襲ってくると
「先生、顔を洗ってきます!」と言って冷たい水で気合いを入れてきました。
色んな思い出があるので、この公園は見覚えがあるだけでなく、
個人的にも懐かしい所です。
この公園、整備工事のため来年まで閉鎖されています。
「名画」の舞台に相応しい公園であり続けるように。
颯爽と歩く野理子のバックに、
南池袋公園の緑とサンシャイン60が写っている場面があります。
ついでに大和証券も時代を超えて。でも看板の書体が変わってるか。
現在は波形模様の金属パネルが上貼りされて一寸モダンに見せています。
通り右側に「キンカ堂」の袖看板が見えます。
2010年にキンカ堂倒産後、池袋店は閉鎖され、今はパチンコ”Rakuen”となっています。
この公園周辺はラブホテルが多い所です。
私はかつて、そのホテルオーナーのご子息に数学を教えていた事がありました。
週に一度、家庭教師としてホテル近くのご自宅へ通ってました。
スポーツも勉強も頑張り屋のご子息は、疲れて眠気が襲ってくると
「先生、顔を洗ってきます!」と言って冷たい水で気合いを入れてきました。
色んな思い出があるので、この公園は見覚えがあるだけでなく、
個人的にも懐かしい所です。
この公園、整備工事のため来年まで閉鎖されています。
「名画」の舞台に相応しい公園であり続けるように。
颯爽と歩く野理子のバックに、
南池袋公園の緑とサンシャイン60が写っている場面があります。
ついでに大和証券も時代を超えて。でも看板の書体が変わってるか。
このサンシャインも主要ロケ地の一つです。
階段奥の建物壁面に、WORLD IMPORT MART の看板が見えます。
まだ、輸入品=高級品、の感覚だった時代なのですね。
階段を上りきった所が屋上広場です。
そして高層部の脚もとがコリドーになっていて、そこの列柱を野理子がジグザグに走って遊んでいました。
まだ、輸入品=高級品、の感覚だった時代なのですね。
階段を上りきった所が屋上広場です。
そして高層部の脚もとがコリドーになっていて、そこの列柱を野理子がジグザグに走って遊んでいました。
実は現地に行って確認すると、
方位の関係から、屋外階段に陽が当たるのは午後遅い時間、
一方、コリドー列柱の隙間から光が射し込むのは早朝でした。
普通に映画を見る時はそこまでは気付きませんが、監督やカメラマンやスタッフの皆さんは
色んな配慮をしながら映画を作っている事が分かります。
建物内では噴水広場が有名ですね。
インテリア改装後も、ほぼ昔のまま使われています。
方位の関係から、屋外階段に陽が当たるのは午後遅い時間、
一方、コリドー列柱の隙間から光が射し込むのは早朝でした。
普通に映画を見る時はそこまでは気付きませんが、監督やカメラマンやスタッフの皆さんは
色んな配慮をしながら映画を作っている事が分かります。
建物内では噴水広場が有名ですね。
インテリア改装後も、ほぼ昔のまま使われています。
地下1階の噴水広場を3階レストラン階の回廊から眺めたものです。
1978年巣鴨拘置所跡地にサンシャインシティが華々しく開業。
メインの建物であるサンシャイン60は、60階建て、約240mの高さを誇る。
当時の驚きは六本木ヒルズや東京ミッドタウン以上でしたね。
ヒロインの野理子にとっても、まさしくここは「サンシャイン」でした。
夜の池袋もあります。
1978年巣鴨拘置所跡地にサンシャインシティが華々しく開業。
メインの建物であるサンシャイン60は、60階建て、約240mの高さを誇る。
当時の驚きは六本木ヒルズや東京ミッドタウン以上でしたね。
ヒロインの野理子にとっても、まさしくここは「サンシャイン」でした。
夜の池袋もあります。
グリーン大通りです。
SEIBU と PARCO の屋上看板ですぐに分かります。
次は夜の池袋大橋でのシーン。
ここは場所を特定するのにちょっと手間取りました。
SEIBU と PARCO の屋上看板ですぐに分かります。
次は夜の池袋大橋でのシーン。
ここは場所を特定するのにちょっと手間取りました。
映画の中では、つらい場面です。
不倫関係とはいえ尊敬もしていた美容室経営者(見るからにアホ)に、
実は玩ばれていた事が明らかになり、荒れて酔いつぶれる野理子。
ストーリーにピッタリの場所です。
左を走るのは昔の赤羽線。右手道路の突き当たりは東武百貨店です。
こう言ってはなんですが、この辺りは潤いのかけらもなさそうな場所に見えます。
でも、大橋の北側は、昔は池袋マンモスプール、今は清掃工場と「健康プラザとしま」です。
お世話になった人も多いのではないでしょうか。
私も先日、定期検診のためバリウム飲んできました。
奇麗で気持ちいい施設です。職員も皆さん親切でした。
プラザの11階には温水プールがあり眺望抜群らしいです。
今度、天気の良い日に富士山が見えるかどうか確認しにいきたいです。
最後に、上映二年後の1984年版航空写真に関連施設を落とし込んでみました。
影の長さを見ると、サンシャイン60が一つだけ抜きん出ている事が分かります。
遠方に高いビルを仰ぎ見て、それで人間が勇気づけられる良い時代でした。
不倫関係とはいえ尊敬もしていた美容室経営者(見るからにアホ)に、
実は玩ばれていた事が明らかになり、荒れて酔いつぶれる野理子。
ストーリーにピッタリの場所です。
左を走るのは昔の赤羽線。右手道路の突き当たりは東武百貨店です。
こう言ってはなんですが、この辺りは潤いのかけらもなさそうな場所に見えます。
でも、大橋の北側は、昔は池袋マンモスプール、今は清掃工場と「健康プラザとしま」です。
お世話になった人も多いのではないでしょうか。
私も先日、定期検診のためバリウム飲んできました。
奇麗で気持ちいい施設です。職員も皆さん親切でした。
プラザの11階には温水プールがあり眺望抜群らしいです。
今度、天気の良い日に富士山が見えるかどうか確認しにいきたいです。
最後に、上映二年後の1984年版航空写真に関連施設を落とし込んでみました。
影の長さを見ると、サンシャイン60が一つだけ抜きん出ている事が分かります。
遠方に高いビルを仰ぎ見て、それで人間が勇気づけられる良い時代でした。
---(この項終り)
夕暮れの早稲田松竹 ― 2013年02月05日
先日、四谷にある新宿歴史博物館の写真展を見て来ました。
「記憶の中の新宿 -昭和30年代を中心に-」というテーマでした。
私が東京での生活を始めたのが昭和40年代ですので、それより更に一昔さかのぼった景色が紹介されていた事になります。
そのため全面的には感情移入しきれなかったものの、一枚、特に気を引かれたのが早稲田松竹の写真でした。
学生時代、低料金で名作を上映する映画館が都内に何軒もあり、そこで過ごす数時間は授業よりも大切でした。佳作座、パール座、文芸地下、東急名画座などなど。
早稲田松竹開館は1951年だそうです。私たちとほぼ同世代なんだと改めて認識しました。
それで早稲田松竹周辺の写真を撮りたくなったのです。
今回はハッセルブラッドにTri-Xを入れて、昔風のモノクロに挑戦です。
「記憶の中の新宿 -昭和30年代を中心に-」というテーマでした。
私が東京での生活を始めたのが昭和40年代ですので、それより更に一昔さかのぼった景色が紹介されていた事になります。
そのため全面的には感情移入しきれなかったものの、一枚、特に気を引かれたのが早稲田松竹の写真でした。
学生時代、低料金で名作を上映する映画館が都内に何軒もあり、そこで過ごす数時間は授業よりも大切でした。佳作座、パール座、文芸地下、東急名画座などなど。
早稲田松竹開館は1951年だそうです。私たちとほぼ同世代なんだと改めて認識しました。
それで早稲田松竹周辺の写真を撮りたくなったのです。
今回はハッセルブラッドにTri-Xを入れて、昔風のモノクロに挑戦です。
レトロな雰囲気が素敵です。軒天の照明も何となく庶民的ですね。
そして、近くで見るとウィンドウ前に多分後付けの防護柵が。
きっと酔っぱらってガラスに衝突する学生さんが沢山いたんだと思います。
向かい側の歩道に渡って、映画館を正面から見ると、
屋根の波形が笑えます。
そして、近くで見るとウィンドウ前に多分後付けの防護柵が。
きっと酔っぱらってガラスに衝突する学生さんが沢山いたんだと思います。
向かい側の歩道に渡って、映画館を正面から見ると、
屋根の波形が笑えます。
「昔はモダンボーイだったんだろうな」って思えるお爺さんのようです。
隣を見ると停留所にバス待ちの女高生が。
隣を見ると停留所にバス待ちの女高生が。
乱雑に見えた早稲田通りですが、夕暮れの風景は悪くないな、と思いました。
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