▪️次のボックスに適当な文字列(複数可)を入力して、当ブログ内を検索できます
▪️下の目次タイトルをクリックするとテーマ別過去記事の目次へ飛びます
・目白の風景 今昔:目次
・吉祥寺の風景 今昔:目次
・昔と今の写真(番外編):目次
・地中海バブル旅行etc.:目次
・旅のつれづれ:目次
・母のアルバム:目次
・目白ジオラマ鉄道模型:目次
・すべてのカメラに名前がある:目次
・目白の風景 今昔:目次
・吉祥寺の風景 今昔:目次
・昔と今の写真(番外編):目次
・地中海バブル旅行etc.:目次
・旅のつれづれ:目次
・母のアルバム:目次
・目白ジオラマ鉄道模型:目次
・すべてのカメラに名前がある:目次
「ピンクのカーテン」(1)目白、上り屋敷編 ― 2013年02月04日
これは1974年に撮影した西武池袋線の線路です。
画面中ほどに、外部階段を持つ4階建てのアパート「メゾン目白」が写っています。
ここが日活ロマンポルノ「ピンクのカーテン」の舞台です。
画面中ほどに、外部階段を持つ4階建てのアパート「メゾン目白」が写っています。
ここが日活ロマンポルノ「ピンクのカーテン」の舞台です。
という事を先日、偶然に知りました。
このようないきさつです。
ジョージ秋山の「銭ゲバ」や「浮浪雲」を愛読していた私は、やはり彼の漫画「うれしはずかし物語」が映画化(1988年 監督:東陽一)された時に見に行きました。
川上麻衣子が、ガードの甘めな女子大生を好演していて、期待以上の面白さでした。
そんな事もあり、先日WOWOWの番組欄に同じ原作者の「ピンクのカーテン」(1982年 監督:上垣保朗)を見つけた時、普段はポルノ映画などは決して見る事の無い私も、ちょっと見てみようという気になりました。
映画は、恋愛一歩手前の危険な関係にある兄(悟)と妹(野理子)が暮らすアパート(下の写真)を舞台に繰り広げられます。
このようないきさつです。
ジョージ秋山の「銭ゲバ」や「浮浪雲」を愛読していた私は、やはり彼の漫画「うれしはずかし物語」が映画化(1988年 監督:東陽一)された時に見に行きました。
川上麻衣子が、ガードの甘めな女子大生を好演していて、期待以上の面白さでした。
そんな事もあり、先日WOWOWの番組欄に同じ原作者の「ピンクのカーテン」(1982年 監督:上垣保朗)を見つけた時、普段はポルノ映画などは決して見る事の無い私も、ちょっと見てみようという気になりました。
映画は、恋愛一歩手前の危険な関係にある兄(悟)と妹(野理子)が暮らすアパート(下の写真)を舞台に繰り広げられます。
題名通り、窓にピンクのカーテンがかかっています。
野理子を演じた美保純がこの映画によって一躍スターの階段を駆け上った日活ロマンポルノの傑作、と言われています。
映画評は今日のテーマではありません。
映画を観ていて私が気になったのは、画面に映る景色の妙な「懐かしさ」でした。
それも「懐かしい昭和の香り」という類いではなく「この景色、見た事ある!」
という感覚です。
話の筋は置いておいて、背景を注視すること数分間、そこに写っているのはまさしく目白の上り屋敷の風景だと確信しました。
そして私蔵写真を探ってみたら、最初の一枚が出てきたという訳です。
別の角度から、このアパートの外観を撮影して映画と比較してみました。
映画(上)/現状(下)です。まず北側から線路越しに。
野理子を演じた美保純がこの映画によって一躍スターの階段を駆け上った日活ロマンポルノの傑作、と言われています。
映画評は今日のテーマではありません。
映画を観ていて私が気になったのは、画面に映る景色の妙な「懐かしさ」でした。
それも「懐かしい昭和の香り」という類いではなく「この景色、見た事ある!」
という感覚です。
話の筋は置いておいて、背景を注視すること数分間、そこに写っているのはまさしく目白の上り屋敷の風景だと確信しました。
そして私蔵写真を探ってみたら、最初の一枚が出てきたという訳です。
別の角度から、このアパートの外観を撮影して映画と比較してみました。
映画(上)/現状(下)です。まず北側から線路越しに。
東側から
懐かしい場所を同様に比較してみました。
アパート近くの山手線脇のガードを北と南から。
読売PR、婦人之友社、バーノーブルなどの看板が見えます。
また、次の場面は大変貴重です。
また、次の場面は大変貴重です。
手前の踏切は「長崎道踏切」、左手奥のガードは「高田架道橋」です。
踏切は2006年春に惜しまれつつ消滅し、ガードは無惨なコンクリートトンネルになりました。
これだけしっかり映像として記録されているものは少ないはずです。
私も昨年「長崎道踏切と高田架道橋」でレポートした事があります。
映画の中では、ピンクのカーテンのかかった窓を開けて、野理子が池袋のサンシャイン60を遠く仰ぎ見る場面が何度も出てきます。
踏切は2006年春に惜しまれつつ消滅し、ガードは無惨なコンクリートトンネルになりました。
これだけしっかり映像として記録されているものは少ないはずです。
私も昨年「長崎道踏切と高田架道橋」でレポートした事があります。
映画の中では、ピンクのカーテンのかかった窓を開けて、野理子が池袋のサンシャイン60を遠く仰ぎ見る場面が何度も出てきます。
目白にフラットアイアンビル? ― 2012年09月28日
ニューヨークはマンハッタンに「フラットアイアンビル」という有名な建物があります。
1902年にダニエル・ハドソン・バーナムの設計で完成した建物です。
その特徴は、一度見たら忘れられないそのスレンダーな外観にあります。
1902年にダニエル・ハドソン・バーナムの設計で完成した建物です。
その特徴は、一度見たら忘れられないそのスレンダーな外観にあります。
何故この形になったかと言うと、この建物の敷地が、「五番街」と「ブロードウェイ」が鋭角に交差する三角形の一部だからです。
この名建築にそっくり(?)なビルが目白にもありました。
この名建築にそっくり(?)なビルが目白にもありました。
「クロサワビル高田馬場」と名付けられたビルです。これも楔形の敷地形状に合わせて設計されました。何故このような敷地が生じたかというと次のようないきさつです。
かつて高田南町三丁目と呼ばれたこの地域は、北は学習院、南は神田川に挟まれた地域で、東西及び南北に走る道によってほぼ碁盤目状に仕切られていました。そこに南東から北西に向かって放射7号線(新目白通り)が貫通しました。そのため、この新旧の道路が交差する部分に楔状の敷地が生じました。
上の写真で建物左側が旧来の道、右側が新目白通りです。
本当にスリムですね。丁度、一階部分がピロティ駐車場になっているので、建物の中に入らなくても内部の広さ(狭さ?)を実感できます。広い所で建物の奥行きは車一台分の長さ程度でしょうか。
かつて高田南町三丁目と呼ばれたこの地域は、北は学習院、南は神田川に挟まれた地域で、東西及び南北に走る道によってほぼ碁盤目状に仕切られていました。そこに南東から北西に向かって放射7号線(新目白通り)が貫通しました。そのため、この新旧の道路が交差する部分に楔状の敷地が生じました。
上の写真で建物左側が旧来の道、右側が新目白通りです。
本当にスリムですね。丁度、一階部分がピロティ駐車場になっているので、建物の中に入らなくても内部の広さ(狭さ?)を実感できます。広い所で建物の奥行きは車一台分の長さ程度でしょうか。
こんなオフィスで仕事をしたら、スキンシップでみんな仲良くなってしまいそうです。
残念ながら、このビルは今は空き家です。
「黒澤楽器店」のオフィスだったのですが、数ヶ月前に同じ町内の別のビルに移転しました。
残念ながら、このビルは今は空き家です。
「黒澤楽器店」のオフィスだったのですが、数ヶ月前に同じ町内の別のビルに移転しました。

目白のフラットアイアンビル、どなたか購入しませんか?
目白に珠玉のポケットパーク ― 2012年06月14日
故郷に帰った時に昔遊んだ遊園地などを見て、「あれ、こんなに小さな公園だったかな?」と思う事があります。幼年時代のスケール感は大人のそれとは違うようです。今見ると端から端までいくらも無いような公園でも、子供の活動には十分な広さなのかもしれないです。むしろ「自分ち」からあまり遠くない所にある事が一番大切なような気がします。そんな感じの児童遊園が目白にあります。場所は「目白の森」と同じ目白四丁目です。静かで、公園があり森があり、この周辺に住んでる方が本当に羨ましいです。
私がこの公園について「珠玉」と思う理由は、敷地のレベル差が上手に生かされているからです。入口から奥に向かって高さ60cmほどの階段があります。このために、遊び場へのアクセスがドラマチックなものになっています。また、階段脇のサツキの植込みが、斜面であるが故にいっそう引き立ちます。
「しかし、これでは車いすが登れないのでは?」との疑問が湧くかも知れませんが、ちゃんと隣にスロープも用意されています。
「しかし、これでは車いすが登れないのでは?」との疑問が湧くかも知れませんが、ちゃんと隣にスロープも用意されています。
また、敷地が奥に向かって全体的に上り勾配になっているものの、周辺の住宅地よりは少し掘り下げられています。そのために公園は落ち着いた雰囲気になり、住宅は窓から覗かれる心配がなくなりプライバシーが保たれる、そのようなレベル設定になっています。
まあ、こんな能書きはどうでも良いのですが、とても可愛い二歳の女の子がおばあちゃまと遊んでいました。
この子には、この児童遊園が将来どんな風に記憶に残るのでしょう?
多分「おばあちゃんちの近くの公園って今見ると小さかったんだね。でも、私あそこが大好きだったんだよ!」と思い出すのではないでしょうか。
多分「おばあちゃんちの近くの公園って今見ると小さかったんだね。でも、私あそこが大好きだったんだよ!」と思い出すのではないでしょうか。
目白三丁目の和洋折衷 ― 2012年06月01日
自由学園明日館 ― 2012年05月27日
目白駅の北西、上り屋敷の一角に国の重要文化財指定を受けた「自由学園明日館」があります。フランク・ロイド・ライトの設計による建築として非常に名高いこの建物ですが、住宅街の中にすんなり納まっているので、地域の子供などは、これが偉大な建築とは思わないかも知れません。ライト特有の軒を低く抑えたヒューマンなスケールがそう感じさせる部分もあります。
この建物は改修を加えられながら常に使い続けられているようです。そのために、「展示された文化財」という感じではなく「御近所の素敵な建物」と見えるのでしょう。私が40年ほど前にこの施設を見学させていただいた時は、確か食堂の地下で若い女性達が十数人クッキーを焼いている最中でした。その甘い香りがたちこめて、見学している私も何か甘い気持ちになった事を思い出します。その当時、既に名建築として様々な人が見学に訪れる場所でありました。今でもこの前を通ると、建築家を目指していそうな若者がカメラを持ってうろうろしているのに必ず出会います。
道路を隔てた南側にはライトの弟子の遠藤新が設計した講堂があります。この前ここを訪れた時も、夕陽に照らされて美しい目白の風景になっていました。
道路を隔てた南側にはライトの弟子の遠藤新が設計した講堂があります。この前ここを訪れた時も、夕陽に照らされて美しい目白の風景になっていました。
この明日館の外観はここ数十年まったく変わっていません。でもその周りの住宅地は結構様変わりしています。以前紹介した「上り屋敷(あがりやしき)公園」から自由学園へ至る道路の38年前の写真が残っていました。
実はこの写真が何処で撮影された物かも定かではありませんでした。かろうじて読取れた住居表示と交通標識をたよりに、やっと撮影場所を確定する事ができました。同じポイントで撮影したのが次の写真です。やや下り坂になった道路の勾配こそ変わりませんが、路面の舗装材、両サイドの民家と塀、これら全てが現代の風景になっています。
最近のコメント