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母が軍国少女だった頃(3)2014年08月10日

前回)からの続きです。

凱旋行進はまだ続きます。
先頭の隊長は、何度見直しても伯父のようです。
宇都宮軍道又は桜通り
母の添書きは「花のトンネル軍道を」です。
季節は春の昭和9年(1934年)4月19日。まだ桜の盛りだったのですね。
「軍道(ぐんどう)」と言われた道は、両側の桜並木にちなみ、
太平洋戦争後は「桜通り」と呼ばれるようになりました。
この写真の撮影位置は、簡単には確定できませんが、
兵隊さんたちが正面から陽の光を浴び、影がほぼ真下に落ちていることから、
正午近くに真南へ向かって行進していることが分かります。

ここで謎解きです。
写真右手に「オンビー」と書かれた暖簾の掛かったお店があります。
この解読です。
店先に瓶が並んでいるところから、「○○オン ビール」ではないか、と推測できます。
しかし「オリオンビール」では沖縄だし、何だろう?
正解は、ネット上で全く偶然に見かけた宇都宮の古い絵葉書にありました。
その絵葉書に写っていたビルの屋上に「ユニオンビール」の看板が付いていたのです。
日本麦酒鑛泉というメーカーが製造販売していたビールです。
この会社のもう一つの主力商品は「三ツ矢サイダー」ですって。

行進の最後の写真は次の三枚です。
聯隊へ

営庭

茶の接待
それぞれ、「聯隊へ」「三とせぶりの営庭」「茶の接待」とあります。
勝利のご褒美は、ユニオンビールではなくお茶でした。
連隊のあった場所は、現在は宇都宮短大附属高校になっています。

さて、前回と今回に載せた凱旋行進の写真について、
宇都宮のどこで撮影した写真かを推測してみました。
その結果は次の図です。
凱旋行進の市街図
宇都宮駅から連隊まで、約3.5Km。一時間弱の行進だったはずです。
ご苦労様!、皆さん戦争で死なずに帰還できて良かったですね。

さて、母の自慢の「兄さん」は、このあとも順調に出世して、
第二次大戦の終り頃には大佐になっていたそうです。
でも、戦後は自衛隊への誘いも断り、軍務につくことはありませんでした。
生まれ故郷の新潟県に戻り、「ガダルカナル島遺骨収集」に尽力したようです。
ガダルカナル島にて、二十歳そこそこで亡くなった弟のことが、
やはり忘れられなかったのでしょう。
そして当然ながら、母と二人の兄も今では、
早くに亡くなった弟と共に「あちら側の世界」の住人です。

さて、この写真解読の過程で得た雑学をひとつ紹介します。
伯父の在籍した宇都宮の「陸軍第14師団」では、
上海・満州事変の後も満州にとどまる人たちがいたそうです。
そして、ウィキペディアによると『除隊後に宇都宮に帰郷した兵達が、満州の食文化である焼餃子を地元に広めたといわれている』とあります。
今、何かともてはやされている「宇都宮の餃子」って、私は少し胡散臭く思っていましたが、ちゃんと歴史上の裏付けもあるんですね。

(まだ続く

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