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愛隣の心はアンパンマン2015年03月06日

母のアルバム」に少し見覚えのある写真が一枚ありました。
昔の愛隣幼稚園
右遠方に見えているのは、愛隣幼稚園。私の通った幼稚園です。
正面の二階建ての洋館には、確かその園長先生(教会の司祭様)がお住まいでした。
雨の翌日だからでしょうか、中央の小道には水溜りが残っています。
舗装もされていない砂利敷の道、
ここに木の枝で絵を描いたり、或いは四角のマス目を作って石蹴り遊びをしたり、
幼年期の思い出がよみがえります。
道の右側には畑、左側には木の塀で囲われた二軒の住宅が写っています。
外壁は木の羽目板、当時の家としては普通の仕様ですが、火にはいかにも弱そうです。
これは「専売公社(JTの前身)」の社宅でした。
実際、この社宅は1960年頃に火災によって消失したので、
この写真は、それより前の1950年代後半のものと思われます。
撮影者不明、ひょっとしたら幼い私が撮ったのかもしれません。
とすれば、カメラは買って貰ったばかりのフジペット。

いずれにせよ、この地を離れてはや数十年、
先日この近くに用事があり、合間を見てこの幼稚園を訪ねてみました。
ほとんど昔と同じ状態で残っていました。
幼稚園と共にある教会の塔が隠れないように、
昔の視点からやや左にずれた位置から次の現況写真を撮りました。
今の愛隣幼稚園

近くで見ると、塔と聖堂は次のような形をしています。
宇都宮聖ヨハネ教会全景
壁は大谷石積み。
フランク・ロイド・ライトが、帝国ホテルの旧本館で多用した石材として有名です。
でも、この地ではありふれた石材です。
というのは、産地の「大谷」はすぐ近く。
当時は自転車で大谷まで気軽に遊びにいきました。
この教会の石造りで窓の少ない重厚さはちょっとロマネスク的です。
ゴシックの壮麗さではなく、ロマネスクの地味な雰囲気が私の好みです。
昔の写真のように、壁にツタが絡まっていると更に良かったのに、と思います。

この教会って国の登録有形文化財に指定されているそうです。
登録文化財表示
子供の頃に日常的に使用していた施設が文化財になるって不思議な感覚です。
在園時は聖堂での礼拝の度に「天にまします我らの父よ」と唱和し、
卒園してからもしばらくは、卒園児向けのクリスマス会などが催されて、
椅子取りゲームやプレゼント交換を楽しみました。
そんな普通の生活の場だったんです。

園庭と園舎も以前のままのようですね。
愛隣幼稚園の園庭

愛隣幼稚園の創立は1912年、市内で一番最初の幼稚園だそうです。
教会は、その前年の1911年に、
日本聖公会の「宇都宮聖ヨハネ教会」として認可されています。
目白駅西の目白通り沿いにある「目白聖公会」もお仲間ですね。
目白聖公会
こちらは1918年の創設だそうですから、愛隣幼稚園の教会の方が先輩です。

昔の写真の小道の現況を逆方向からも撮ってみました。
関東バス跡地の巨大マンション
右側の専売公社の社宅だった所は、普通の住宅になりました。
反対側の畑は、「結婚式場くろかみ荘」の社宅を経て、今は建て売り住宅群になりました。
道の突き当たり、以前ここは関東バスの駐車場だったのですが、
敷地が広かった分、巨大な屏風のようなマンションが建ち、空を塞いでいます。
丁度この方向に沈む夕陽が、この小道で遊ぶ子供たちを赤く照らしていたのに、
今では赤くなる前に太陽が隠れてしまいますね。残念。

今回縁あって訪れた愛隣幼稚園のHPに、園の保育理念が記されています。
それを以下に引用します。
『世界で最初に幼児教育を手がけたのはドイツ人のフレーベルでした。
フレーベルは、幼子は放置しておくと野蛮人になってしまうとする当時の常識に反して、幼子が人間の命の豊かさを十分に示しているのに気づきました。
そこで、幼子が花のように美しく咲いているという意味で、Kindergarten(キンダーガーデン:こどもの園)という名前をつけました。
「神の国は幼子のような者たちのものである」というイエス・キリストへの信仰があったのです。』

この文章の中の「フレーベル」と「キンダーガーデン」で思い出した事があります。
私が園児だった頃、この愛隣幼稚園を通じて、
「フレーベル館」という出版社の「キンダーブック」という幼児誌を購読していました。
キンダーブック
(これは上野の国際こども図書館の展示品です)

更に調べてみると、「フレーベル館」も「キンダーブック」も現存しているんですね。
フレーベル館のHPには「キンダーブックのあゆみ」として、
昭和2年(1927年)の創刊時からの表紙が
『夢をつないで80年 あなたはいつの時代に出会いましたか』
の言葉とともにたくさん並んでいました。
ちなみに、私が馴染んでいたのは、表紙が真四角の時代のブックですよ。
また、表紙の一覧を注意深く眺めると、
戦時中、「キンダーブック」の名前が使えず
「ミクニノコドモ」の誌名で出版されていた時期があったようです。
そして翌年は休刊、更にその翌年には戦後復刊第一号を出版と、
このような幼児誌にも時代の世相は反映されるのですね。

今はどうでしょう?
この出版社はやなせたかしさん原作の「アンパンマン」シリーズを発売しているんですって。
素晴らしい!!
愛隣の心は、私の孫の世代にもちゃーんと繋がっているみたいですね。

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