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網代温泉と錦ヶ浦(1)2019年01月04日

■何も無いのが魅力の網代温泉。

暮れの一晩、骨休めに「網代温泉」へ行きました。
名前こそ聞いてはいますが、行くのは初めて。
熱海の少し先、伊豆半島の付け根にある温泉です。
まず熱海へ着いて、近くの錦ヶ浦など見物しようと思いましたら、
晴天予報にも関わらず、
なぜかヒョウに見舞われ駅前で足止めとなりました。
ちょうど昼頃。
この間にお昼でも食べることとし、地下街の「熱海まぐろや」へ。
熱海まぐろや
500円のマグロ丼でも十分なのですが、
せっかく東京から来たことだし、と思い三色丼を選びました。
まぐろや三色丼
900円で、マグロ、アジ、タイ。別小鉢にイカ刺し。
このお昼が済んでも、まだ雨模様だったので、駅ビルの喫茶へ。
03
甘党の私は田舎しるこ。
このお茶が済んでも、まだ曇り空だったので、
錦ヶ浦観光は翌日に回し、早めに旅館入りすることにしました。
天気予報では、終日お日様マーク全開だったのに、雹が降るとは!
不思議なことがありますね。

JR網代駅に到着。
予約した旅館は駅から徒歩数分の極近でしたから、
当然ぶらぶら歩いて向かいました。
途中の景色は、私好みの「寂れた温泉街」の風景。
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曇り空のせいか、さびれた感が倍加しています。
次の、海沿いに建つ「自家源泉」の櫓が、ちょっとシュールでした。
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旅館に着くと、そこは街の風景と違い、小綺麗な雰囲気でした。
06大成館
そして、早めにチェックインしたおかげで、
人気の「貸切展望風呂」も空いていましたよ。
07貸切展望風呂
結果的には熱海で雹に見舞われて幸運だったのかな。
サービスにも部屋出しの料理にも満足。

網代の街は、南西に伊豆の山々、北東に海を眺める立地のため、
陽の沈むのが早く感じられます。
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部屋の窓から海と対岸を眺めると、こちらは暗いのに、
遠方に見えている「熱海」にはまだ太陽の光が届いていました。

また、次の翌朝の写真のように、
朝の光は、海に向かう私の斜め背後から来ることとなります。
関東育ちの人間にはちょっと不思議な感覚です。
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朝、部屋の窓から右手を見下ろすと、
(この写真の中央)つり船の案内版がありました。
これが観光資源の一つなのですね。
左手では、次の写真のように三人乗りのつり船が、
まさに出港しようとしているところ。
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船の脇に立っている男性が船主なのでしょう。

旅館をチェックアウト後、
熱海へ戻る電車の時間まで、少しばかり街を散策。
海沿いで、先ほどの船主がお茶を飲んで一休みしていました。
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海沿いの道を、さらに北へ歩くと、
網代温泉唯一?の砂浜・海水浴場がありました。
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ここで同時に海水浴できるのはせいぜい数人ですね。
ちなみに、この写真の右端に、
これから向かう錦ヶ浦の断崖が写っています。

ところで、この散策時、時間的にはちょうど10時頃、
各旅館のチェックアウトの時間だからでしょうか、
駅へ向かう人たちを何組も見かけました。
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この写真に写っているのは数人のグループ客ですが、
これは稀なケース。
この日、私が見かけた殆どは、男女二人連れでした。
(訳ありもいるだろうし、写真は絶対撮れません!)
観光「名所」が沢山あるわけでもなく、
楽しい団体旅行などには向かない網代温泉なのですね。
次の写真は朝日を浴びる「網代駅」の駅舎と駅前ゲート。
「またのおこしを」と書いてあります。
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少しさびれた感のある温泉街ですが、
賑やかすぎる観光客が少ない分、訳ありの方にはお薦めです。

散策途中に見つけたバス停「網代駅口」。
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一応、「熱海駅」行きの路線図を確認してみると、
これから観光する予定の「錦ヶ浦」にも停車することが判明。
「こっちに乗る方が便利かも」と、
当初予定の電車を止め、バス便で熱海に向かうことにしました。
でも、便数は少なく一時間に一本。
バス待ちの間、バス停前のカラオケスナックでも寄りましょうか。
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幽霊が歓待してくれそうですね。
こんな風景が、何故か嫌いでないのです。

続く

網代温泉と錦ヶ浦(2)2019年01月08日

前回)からの続きです。

■この景観はずるい!の錦ヶ浦。

バス停で待つこと十分ほど、
乗客数がゼロ!という乗合バスがやって来ました。
ここ網代駅口で三人乗ったので、やっと「乗合バス」になりました。
網代から熱海へのバス中
トンネル潜ったりして、ほどなく錦ヶ浦バス停に到着。
錦ヶ浦バス停
バス停周辺は、この写真のように、やや雑然とした風景ですが、
目を海側に転じると、中央に初島、遠くに伊豆大島を望む絶景です。
初島パノラマ

そして視界の左端には大型客船が!
大型客船のようなホテル
と思ったら、これは「ホテルニューアカオ」でした。
ロビー階の下が宴会場、その下が客室と、
普通のホテルと比較すると「逆立ち」した構成ですね。
そして、客室の下は、まさに錦ヶ浦そのもの。
錦ヶ浦
こんな立地は許されるのか?ずるい!というのが第一印象。
展望テラスで撮影したこの写真にも写っているように、
海面に近い位置に、「芝生の庭園」があります。
そこから眺めたら、きっと更に圧巻の景色だと思います。
しかし、何か工事中らしく降りられないようです。残念。
この写真で中央の真っ暗な部分は、位置を変えて撮影すると、
次のように、洞窟状に向こう側の海まで抜けているのです。
洞窟
なかなかでしょう?

視線を右側へ転じると、こちらも見事な断崖の風景。
やはり手前に、立ち入り禁止の眺望テラスがありました。
眺望テラス
このテラスへ降りて行く階段は、次の写真です。
06
擬石の手摺が朽ち果てそうになって、いい味を出しています。
まあ、朽ち果てそうだから補修工事をしているのでしょうが。
できれば、朽ち果てて自然と一体化すると、
もっと雰囲気が出るのですが(危険性は無視)。

ホテルニューアカオのロビーに向かいつつ、再度下方を眺めると、
先ほどの「芝生の庭園」は、何とレストランの屋上庭園でした。
07
ということは、この庭園全体が人工物!
好き勝手に楽しくやっちゃったんだね、と羨ましい限り。
しかも岩場の先端には、何やらプール状のものがあります。
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これって、プール?それとも露天風呂?
いずれにせよ、ホテルが造っちゃったものでしょうけど、
こんな露天風呂があったら、
辺りの視線も気にせず皆んな入っちゃうでしょうね。

そんな風に無邪気に錦ヶ浦の開発を楽しんだ歴史が、
ホテルの壁面に展示されていました。
09錦ヶ浦開発の歴史
代々の市長も協力者なのでした。
市長の胸像
この傍若無人ぶりも古き良き時代なんですね。

さて、大型客船ホテルの宴会場へ行ってみました。
先ほどの写真のとおり、ほぼ全周がガラス窓。
錦ヶ浦上の宴会場
右手は錦ヶ浦を見下ろし、
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左手には熱海市街を遠望します。
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夜景は見事でしょうね。
フロアーがフローリングになっているので、
これはダンスパーティー開催を前提としているのでしょう。
これまで、泊り掛けのダンス旅行などには、
誘われても何となく億劫で尻込みしていた私ですが、
ここだったら、ちょっと来てみたい気がします。

こんな風に一応の骨休め旅行を終了し、
伊豆東海バスの「湯〜遊〜バス」に乗って熱海駅へ戻って来ました。
このバスには、ボランティアガイドさんが乗っていて、
熱海についての薀蓄を傾けながら名所を巡るという面白いバスです。
そのガイドさんによると、
昔の東海道線は熱海を通らず御殿場の方を通っていたので、
小田原と熱海を鉄道で結ぶ計画が持ち上がり、
当初の19世紀末には「人力車両!」で開通し、
20世紀初めに、蒸気機関車による軽便鉄道になったそうです。

その軽便鉄道の機関車が熱海駅前にありました。
13熱海軽便鉄道
何とも可愛い姿です。とても親しみを感じます。
と思っていたら、これは私の所有する次の車両とそっくり。
13a
(この機関車の模型が走っている様子はこちら
親しみを感じるはずです。

さて、雹で足止めを食い、
熱海駅の「田舎しるこ」で始まった今回の旅行、
シメは駅前の「温泉まんじゅう」でした。
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15

(終り)

ミラノ大聖堂の屋根の上で2019年01月16日

ミラノ大聖堂の屋根の上で
映像が記憶を喚起する力は本当にすごいと思います。
この写真は28年前にミラノ大聖堂を訪れた時の一枚ですが、
この旅行の一連の写真を改めて眺めてみると、
様々な出来事が、そのディテールまで含めて、
芋づる式によみがえって来ます。

きっかけは一つのTV番組でした。
TV東京が土曜の夜に放送するシリーズ『美の巨人たち』で、
「ミラノ大聖堂」を取り上げることを知りました。
約30年ほど前にミラノを訪れたことのある私は、
「確か大聖堂にも行ったはずだ。どんな教会だったかな?」
と思い出そうとしましたが、いまいちピントを結びませんでした。
(今思えば汗顔の至り)
それで、あの旅行は1990年頃だったはず、と推定し、
その前後のアルバムをめくって見たところ(実際はiMac上でブラウズ)、
ミラノなど北イタリアで撮影した写真がたくさんあったのです。

そして問題の大聖堂については、行っただけでなく、
屋根の上で写真を撮りまくっていたのです。
その一部を紹介します。
次は、教会の壁を支える「フライングバットレス」
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街を見下ろし。右手にガレリアのガラス屋根。
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バットレスとガレリア。
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尖塔上の聖人像。
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そして先ほど紹介したTV番組では次のような鳥瞰映像を流しました。
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これらの映像を観ることによって、私の記憶の中で、
ミラノ大聖堂のイメージと、その屋根の上を歩き回った私自身の姿は、
完全に再現像され、定着しました。

ちなみに、もちろんガレリアにも行き、
お昼を食べたり、ショッピングしたことも思い出しました。
07ミラノのガレリア
中央部の床にある「ロムルスとレムス」等のモザイク画も見ましたよ。
08

番組では、レオナルド・ダ・ヴィンチも関係者として取り上げていました。
(内陣の構造方式を決めるコンペに応募したそうです。ただし、落選!)
彼はミラノ滞在中の3年間で、例の「最後の晩餐」を、
「サンタマリア・デッレ・グラツィエ教会」の食堂の壁に描いたのですね。
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これはTVが放送した現在の絵の状態です。
私が見学した時は、残念ながら、修復の真っ最中。
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もっとも、修復途上の絵を見るのも、得難い体験でした。
また、絵を見る直前に、この教会の中庭の写真も撮っていたようです。
サンタマリア・デッレ・グラツィエ教会の中庭と回廊
この中庭と回廊の雰囲気が気に入ったらしく、写真が何枚もありました。
でも、この中庭についての私の記憶はほとんどゼロですので、
写真から記憶を再生することになります。(それもありか)

さて、大聖堂の建設に使われた大理石は、
ミラノ北方100kmにある「カンドリア」の石切場から運ばれて来て、
ミラノ郊外の工房で加工されたそうです。
現代でもそこで修復作業が行われており、その様子が紹介されていました。
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その映像を見た私は、28年前の似た光景を思い出しました。
場所はミラノ東方200kmのヴィチェンツァ近くの工場でした。
大理石を切削加工して工芸品を製造している青年を見たのです。
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その仕事ぶりから感じたのは、
この青年たちは「石工」とか「職人」というより、「芸術家」なんだ、
ということでした。
それにしても、ハンサムな青年たちでしたね。
そのハンサムぶり、とても敵いません!(笑)

さて、TVではカンドリアの石切場も紹介していました。
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この小高い丘から平地を見下ろす景色に、
私もヴィチェンツァ近くの丘にあるレストランを思い出しました。
大理石加工工場の関係者に連れられて訪れたレストランです。
次の写真がレストラン近くでの車窓風景ですが、
同じ北イタリアの雰囲気があるでしょう?
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次の二枚の写真がレストランと、その庭園です。
辺鄙な立地に、看板も何もない素朴な佇まいが好ましいです。
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多分、地元の方と一緒でなければ絶対に訪れないような店です。
ここで食べたパンが美味しかった!
少し酸味のあるオリーブクリームをパンに塗って食べたのでした。
それから、直径が10cm以上もあるキノコのソテーも!

食事が済んでレストランの外に出て、
「このお店を再訪するチャンスは今後巡って来ないだろうな」
と思うと名残惜しく、そんな気分で先ほどの写真を撮ったのでした。

ちなみに、これらの写真は全て「1円のレンズ」で撮りました。

SR・MDレンズ用アダプタ2019年01月20日


SR-7とα7700i
この写真は私が愛用していたミノルタの一眼レフ、
左が50年前の " SR-7 "
右が30年前の " α7700i "です。
ミノルタα7700iの時代のAF(オートフォーカスレンズ)は、
LA-EA4」アダプターによって、
最新のα7シリーズでもAFで使えるようになりました。
ついでに、SR時代のMF(マニュアルフォーカスレンズ)も、
次のように蘇らせることにしました。
02
ここで使用したアダプターは、
ライカMマウントレンズを、
SONYα7シリーズ用に変換する「LM-EA7」と、
ミノルタのマニュアルフォーカス時代のレンズを、
Mマウント用に変換する「MD-L/M」の二つです。
これらを2段重ねにして使うことにしました。
これの面白いところは、
「LM-EA7」にAF機能がついているので、
MF時代のレンズもAF可能になることです。
また、ミノルタSRの時代だけでなく、
次のようにミノルタXの時代のレンズ(MC・MDタイプ)にも対応します。
03

さらにミノルタ用の「MD-L/M」の代わりに、
オリンパス用の「OM-L/M」を使えば、
オリンパスOM時代のMFレンズもAFできるのですね。
両方入手しましたよ。
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ところが、OM用に問題は無かったのですが、MD用に問題発生!
OM用の2段重ねが次の写真。OKです。
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MD用の2段重ねは、次のように隙間ができてしまいました。
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「MD-L/M」のリングの一部が、
「LM-EA7」の駆動部分の膨らみに当たってしまうのでした。

やむを得ず、リングの干渉する部分をヤスリで削りました。
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このままではみっともないので、黒塗装を施しました。
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最後に2段重ねの間に紙を挟んでみて、
アダプター同士が衝突していない事を確認しました。
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無事にアダプターの改造を済ませ、
" ミノルタ Minolta MD100mm F2.5 " を " α7II " に装着し、
高田馬場・目白駅西を walk & shoot しました。
次の二枚は東京富士大学裏手の宮田橋公園。
10宮田橋公園

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この公園、いつ行っても、ほとんど無人です。
次は西武新宿線の踏切からの景色。
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次はおとめ山公園の北側で始まったマンション建設工事。
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下落合の公務員住宅のうち、
最後まで空地で残っていた土地にクレーンが立ちました。

この日に撮った写真のうち一枚、
たまたまローキーで面白い感じのがあったので、
他のも全部ローキーに仕上げてみました。

カラーフィルム自家現像UNICOLOR編(1)2019年01月26日

4年前の記事「カラーフィルムものぐさ自家現像」の続きです。
以前利用していたネガカラーフィルム用現像液
「ローライデジベース Rollei Digibase C41 Ready to Use」
が販売されなくなって約二年ほど経ちました。
何でも、成分が変更され、その変更後の製品には、
日本では販売できない薬剤が使われていたそうです。

やむなく、ほぼ完全モノクロ派となっていた私も、
最近またカラー自家現像で遊びたくなり、買ってみました。
カラーフィルム自家現像キット
「ユニカラー UNICOLOR C41 現像パウダーキット」です。
(知床のかわうそ商店で税送料込み3,980円)
左後ろが昔懐かしい「デジベース DIGIBASE」のオレンジの箱です。
この二つの製品の大きな違いは、
デジベースが約500mlの既調合の薬液であるのに対して、
ユニカラーは自分で粉末を溶かして、薬液を作らねばならない事です。
また、指定液量も1,000mlとなりますから、
私にとっての適量の500mlの二倍と過剰ですね。
でも、必要な溶液を作ってしまえば、後の作業に大きな違いはありません。

それで、まずやることは粉末を半分に分けること。
02
電子秤の上に紙を敷き、一旦全量を乗せた上、
数値を見ながら、スプーンで半量を袋に戻しました。
ちょっと面倒な作業ですね。
溶かさなかった粉末は封をして保管します。
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作成する薬液は、
現像液・漂白液の主要二液と安定剤の三本です。
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この写真は、今回作成した三液を、
モノクロ用の定着液と一緒に保管している状況。
同じ保存瓶なので、間違わないようにラベルを貼っておきます。

でも、現像を開始しようと湯煎を行なったら、
05
ラベルが剥がれてきてしまいました!
まあ、液色が明らかに違うので、間違うことはありません。
次が使用前の現像液。
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これが使用後は次のように朱色になります。
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一方、漂白液は次のようにお醤油のよう。
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現像作業では特に現像液の温度が大切です。
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次のレシピを見ながら、液温と現像時間を決めました。
10現像レシピ比較
私の使用するPatersonタイプのプラスチックタンクでは、
青の部分、「38.9℃で3.5分」と一択しかありません。
でも、フィルムドラムのレシピでも同様だろうと考えて、
「29.4℃で10.25分」を選びました。
次は、途中の液温をチェックしているところ。
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その後、レシピどおりの手順を踏み、完了。
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ちょっと濃いめのネガに仕上がりました。
(後述の検証から判断すると、現像時間が2.5分ほど長すぎたようです)
私的には合格点ですが、ハイライトが飛ばないよう、
スキャン時に若干の補正をかける必要がありました。
実例として一枚、補正後の写真を載せて見ます。
13目白台運動公園

■次回の現像を見据えて。

今回の結果から、「現像液の温度と現像時間」について、
私なりの結論を導くと、次のようなグラフになります。
現像温度と時間のグラフ
赤丸、青丸がUNICOLORの推奨処方、
緑丸が昔使ったデジベースの推奨処方、です。
私の使用するパターソンのプラスチックタンクの場合、
推奨される液温・時間の組み合わせは、青丸のただ一点しかありません。
ただし、この組み合わせは、
素人が適正に管理するには、温度は高すぎ、時間は短すぎ、です。
それを考慮して、管理しやすい温度と時間の組み合わせを選べるように、
推奨値の仮想曲線を描いて見ました。
青色の線がそれです。
多分これは、そこそこ上手く行くはずです。

この青色の線の上では、
液温が25℃〜30℃の範囲で「液温(℃) + 現像時間(分) = 39」が成り立ちます。
またパターソンのプラスチックタンクを使用する私の場合、
これまでの経験からすると、
想定より少し早めに現像が進行しているような気がします。
次回は、「液温(℃) + 現像時間(分) = 38」と現像時間を少し短めにして、
また、途中の撹拌も、レシピでは30秒ごととなっているところ、
これを60秒ごとと、ものぐさモードでやってみようと思います。

続く

(2022/01/05 追記)
その後、入手できるカラーキットが「CineStill-Cs」というブランド名に変わり、
これは多分UNICOLORと同一の製品と思われますが、
添付の説明書の記述も若干変更されていました。
それらを元に再度自分なりの現像レシピを追求してみたところ、
次のような結論に達しました。現像時間についてだけですが、
液温と処理時間の関係は、
25°:22分
26°:19分
27°:16分
28°:13
29°:11
30°:9分
です。グラフにすると以下の通りです。
現像レシピ変更
これより低温で処理した場合は、コントラストが大きく低下するため、
スキャンで取り込んだ後の補正が欠かせません。