▪️次のボックスに適当な文字列(複数可)を入力して、当ブログ内を検索できます ▪️下の目次タイトルをクリックするとテーマ別過去記事の目次へ飛びます
    ・目白の風景 今昔:目次
    ・吉祥寺の風景 今昔:目次
    ・昔と今の写真(番外編):目次
    ・地中海バブル旅行etc.:目次
    ・旅のつれづれ:目次
    ・母のアルバム:目次
    ・目白ジオラマ鉄道模型:目次
    ・すべてのカメラに名前がある:目次

運搬可能なタタミ一枚の鉄道模型レイアウト2017年03月02日

前回)からの続きです。

大昔にちょっとだけ鉄道模型を楽しんでいた頃は、
いわゆる「お座敷運転」でした。
遊ぶ時だけ畳の上で線路をつなぎ、終わったらまた分解するわけです。
手間ですね。
今回はベースとなる木製パネルの上に固定するので、
思い立ったら直ぐ遊べるはずです、快適に。

しかし課題があります。
それは畳一枚分の大きさのレイアウトを常設する場所はないので、
運転が終わったらそのまま持ち運び、
どこかの部屋の片隅に、立てかける形で収納するように作らねばなりません。
すなわち必須命題は「軽量化」。

主要材料としてスタイロフォームとスチレンペーパーを選択したのは
そんな理由からです。
鉄道模型ジオラマ材料
材料成分の半分は気泡ですからね。軽いはずです。

そして製作開始。
スタイロフォームを必要な大きさ・形状に切り出します。
スタイロカッター作業中
このスタイロカッター、とても高価でした。
でも、こういう道具を使うのも、鉄道模型製作の楽しみの一つなのであります。

ジオラマの土台のおおよその形状が見えたところが次です。
写真奥が高台、そこから手前になだらかに下ってくる地形をイメージしています。
03
そこに設計図をプリントアウトして貼り付けました。
04
設計図には次の項目が記載されています。
・敷設線路の外形線と、各線路単体の商品番号(KATO製)
・主要線路の設置レベル(-20〜+30mm)と位置(パネル左隅を原点とした座標)
・詳細地形を表す等高線
・製作予定の施設名(鬼子母神とかおとめ山公園とか)
盛りだくさんですね。
A4プリンターで分割出力したところ、合計印刷枚数は30枚にもなりました。
それらを一枚に張り合わせるだけで一晩かかりましたよ。

そして、等高線に沿ってスチレンペーパーを切り出したり、
デザインカッターで曲線線路部分を切り込んだりしました。
05
次が製作途中の様子。
鉄道模型の等高線
コンター(等高線)が滑らかで美しいでしょう?
CADで書きましたからね。
ペジェ曲線とかいうらしいですよ。
次の写真は傾斜部分の線路を撮ったものですが、線路の脇に溝が写っています。
07
この溝に線路を落とし込み、両面テープで固定するのですが、
3%程度の適正な勾配になるよう、微妙に調整しながらの作業になります。
直線部分も同様です。
08
部分的には、次のように線路を貼り付ける傾斜土台を別途作る方法を採りました。
09
これらの勾配調整は大切で、試運転をしてみたところ、
4%近くになると登坂できなかったりしました。
スタイロで作るのであれば、作り直しも簡単なので便利です。

このようにして地盤造成と線路の敷設が順調に進みました。
10

ただ、このような楽しい製作過程でも、一つ大きな不満が生じました。
それは製作途中は模型車両の運転ができないことです!
11
この写真のように一応全体の形が整えば、
試運転と称して都電などを走らせて楽しめますが、
そこに至るまでは、線路の一部をベースに貼り付けた状態ですから、
いわゆる「お座敷運転」をするための線路も揃わないのです。

本末転倒。
そんな不満を解消しようと、数本の線路を別途買い足して、
もう一つのミニ版レイアウトを先に作っちゃいました。
A1パネルの鉄道模型
A1サイズの木製パネルにギリギリ収まるレイアウトを考えました。
841mm x 594mmの大きさのパネルです。
上下左右ともパネルの縁から道床までの離隔距離は数ミリです。
それでも、この中で単純長円だけでなく、八の字ループも可能です。
しかも、(ここがミソです)
将来的には、並行して製作中の本設レイアウトと繋がるように計画されています。
写真上部に鬼の角のように伸びた分岐線があるでしょう?
これが、引き込み線路になる予定です。

続く

無い知恵絞って鉄道模型レイアウト2017年03月07日

前回)からの続きです。

90cmx60cmのパネルを3枚接続して、
畳一枚分の大きさのレイアウトを作れるはずでした。
レイアウトパネル3枚
ところが繋げた後に作業を続けてみると、
重さ以上に大きさによる障害が出てきました。
組み合わせ後のパネルを、
両手両腕ではさみつけるように持ち上げてみると、
わずかに傾いただけでも結構あおられます。
両手に加わるモーメントがとても大きくなり、制御不能に陥りそうになります。
これでは何回もセットしたり片付けたりしているうちに、
腰を痛めるか住まいを痛めるか、事故は必至と思えました。

それで、止むを得ず二つに分割することにしました。
Nゲージ線路レイアウト
このレイアウト図の中の赤の縦線二本のうち、
左の方を分割ラインとしました。
ここで分ければ、分割線上の線路は4本だけ、
しかもすべて単純な直線線路です。
影響を最小限に抑えることができます。
ただし、遊んでいる最中に蹴飛ばしたりしてパネル同士がズレてしまうと、
分割ライン上の線路が壊れる可能性があります。
そのため、次のようなズレ対策を講じました。
パネル接続パッチン
つなぐ時は、止め金具でパネル同士を緊結することにしたのです。
この金具、あちこちで見かけるでしょう?
03
この金具の名称は「パッチン」だそうです。知ってました?
近くのホームセンターで買いましたが、ホームセンターって、
この他にもいろいろ便利なものがあるんですね。
それらを見ていると、何時間いても飽きないくらいです。

ホームセンターで、次のものも買いました。
電動ドリル&ドライバー
電動ドリル(充電式ミニドリル&ドライバー)です。
これまで欲しいと思ったことは何度もありましたが、
どの商品が良いのか判断できずに買わずじまいでした。
一口に電動ドリルと言っても、先端工具の取付規格が複数あるらしく、
どのドリルとどの工具が適合するのか良く分からなかったからです。
今回も、購入した電動ドリルを家に持ち帰って、
以前から手動で使っていた12mm木工ドリルを取り付けようと思ったら、
はまりませんでした。
専門用語で言うと、
・電動ドリルのビット差込口は「6.35mm六角軸用」であり、
・使いたい先端工具は「外径6mmの丸軸タイプの木工ドリル」
だったということらしい。
でも、対応策をネットで調査した結果、
「六角軸ドリルチャック」を買えば良いことが分かりました。
このチャックを間に入れれば、
外径10mm以下の丸軸タイプのドリル(先端工具)が、
6.35mm六角軸用ビット差込口に取付られるのです。
そうして目出度く取り付けたのが先ほどの写真です。

この電動ドリル、こんな風に使いました。
電動分岐ポイントのケーブルをパネル裏側に導くための穴あけです。
05

06

07
こうすれば、ジオラマ模型において目障りなケーブルが隠れますね。

また、道具って、あれば他にも使ってみたくなるものです。
手動のキリもみと違って、電動ドリルは狭いところの穴あけも得意です。
レイアウトパネルの裏側を見てアイデアが湧きました。
次のようにパネル用の「手提げ紐」を付けてみたのです。
08

09

10
ドリルを6mm径のものに付け替えて開けた穴に、
"ゴディバ GODIVA"の手提げ袋の手提げヒモがぴったりでした。
これで、信じられないくらいパネルの操作性が向上しました。

「ひょっとすると元の大きなパネルでもいけるかな?」と思い、
もう一度パネル3枚の接続を復活させて、
試しに、下の写真の二箇所にヒモを付けてみました。
11
すると、軽々と持ち上げることができるじゃありませんか。
ゴディバの手提げ紐、大正解!!でしたよ。
バレンタインのチョコレートは貰ってみるものですね。

そして現在の状況。
レイアウトパネルと手提げ紐
未開の造成地に、鉄道だけ通った状態が次です。
立て掛け可能な鉄道模型レイアウト
こちらの部屋からあちらの部屋へ、持ち運び自由自在。
収納するのも簡単になりました。
道具と頭は使いよう、昔の人の言うとおりでした。

続く

日光東照宮陽明門で111年前の祖父に会う2017年03月11日

陽明門の大修理が済んで、昨日から一般公開されたそうです。
東京新聞の夕刊に載っていました。
陽明門修理完了

実は、つい10日ほど前、昔の写真の束からこんなものを見つけました。
日光「東照宮陽明門」の前で畏まる祖父(写真右側の人物)の写真です。
祖父の写真

私は最近まで実の祖父母4人の顔を知りませんでした。
ところが、幸いな事に、母の遺品の写真を整理するなかで、
二人の祖母の写真と思われるものは見つけました。
それでも、二人の祖父については相変わらず不明でした。

それが半月ほど前に、実家の家財道具等を処分していた姉から、
「また、写真があったよ」と、三袋分ほどの写真を託され、
遺品から三袋の写真
その中に、この陽明門の一枚がありました。
場所と人物が判明したのは、写真の裏に次の説明文があったからです。
裏書き
これを読むと明治39年に、祖父(狷造)は奉幣使の随行員として、
日光二荒山神社の例祭(今でもやっている)に参列し、
ついでに東照宮にも立ち寄ったのですね。
今から111年前、西暦1906年のことです。
祖父は、今で言う所の県の役人だった事になります。
それも初めて知りました。

祖父の顔と名前が、ようやく結びつきました。
せっかくですので、この写真を往時の姿に蘇らせるべく、
Photoshopで色々手を加えてみました。
写真修正
こうして、人物の顔も鮮明になってくると、
私の祖父は、なかなか凛々しい顔立ちであるように見えます。
その遺伝子は、ちゃんと伝わっているのかな?

ちなみに日光東照宮は実家と同じ県内ということもあり、
何回も訪れたことがあります。
東京で暮らすようになってからも、
「鳴き龍」のレポートを夏休みの宿題とした次女のために、
わざわざ東照宮まで連れて行ったこともありました。
その時の写真もありますね。
1995年の陽明門
奇しくも、最初の記事写真と同じアングルからの撮影ですが、
こちらはデート表示の通り、1995年8月11日のものです。
まさに夏休み真っ最中。
そして、その日の東照宮で撮った次のような写真もありました。
三猿の見ざる
「見ざる、聞かざる、言わざる」の「三猿の彫刻」の前で、
「見ざる」のポーズをとっている私です。

陽明門の前で衣冠束帯にて畏まる祖父に対して、
綿パンTシャツ姿で猿の真似をしている私って、
いくら時代が違うとはいえ、大いに疑問ありですね。

祖母の名はフク富久婦久2017年03月13日

母が亡くなって早や7年、
住む人のいなくなった家を手放す事になりました。
今度は遺品の整理というよりも、一切合切の処分です。
そんな処分品の中から、また現れた古い写真の束。
遺品の写真
どうしたものかと悩みました。

写真の一枚一枚が人生の記念碑だった時代には、
このような遺品の写真は捨てるに忍びず、
次の人へ、そしてまた次の人へと、
人が亡くなるたびに、遺族の誰かへと引き継がれていったのでしょう。
だから、古い写真の束の中は、
元々の所有者が誰なのかさえ分からなくなった写真ばかり、のはず。

そこで私は考えました。
「私の見知った顔が写っている写真だけを残そう」と。
感覚的には、それで十分の一くらいに減らせそうです。
先日までは、その存在さえ知らなかった写真ですから、
あるいは、何も見ずに「えいやっ!」と捨てても良いくらいです。

ところが、無駄に残っていた訳では無い、ということなのか、
先日は「陽明門の下で記念写真を撮る祖父」を見つけ、
祖父の顔を初めてきちんと認識することができたし、
今回は、次のような写真も見つけました。
祖母と父の110年前
父のアルバムに貼ってあった一枚の写真と同じものです。
(その写真のことは「108年前の祖母に会う」に書きました)
赤子を抱いた女性は、私の全然知らない顔立ちなのですが、
私に「この人は実の祖母!」と確信させた、不思議な力を発する写真、
それと同じものを見つけたのです。

そして、一応裏面を確認してみると、次の書き込みがありました。
03
このように、写っている5名全員の名前が記され、
父の名前の隣の文字は「富久」と読めます。
父の戸籍謄本から、
その父は狷造・母はフクという名前であることは知っていたので、
この女性が私の父方の実祖母であることは、
単なる確信ではなく、正真正銘の「事実」になりました。
撮影年も、もちろん予想通りの明治40年(1907年)でした。

おまけに、このフク・富久さんの写真は他にも見つかりました。
04
出てくるものですね、100年の時を経て。
その中の次の一枚は、二歳になった父を抱いた写真です。
05
この裏では、今度は「ふく子」と自称していました。
06
昔は女性の名前について、戸籍上は単純なカタカナだけなのを、
「子」を付けたり、適当な漢字を当てたりしていた、
というのは本当なんですね。

とにかく、こんな発見がありながら、写真を分別していきました。
そして、知らない顔ばかりの写真は、当然、廃棄側に分類するのですが、
次の写真でふと手が止まってしまいました。
07
知らない顔というよりも、どの顔も退色して、誰だか分かりません。
撮影した写真館は、東京本郷区弓町二丁目(今の文京区本郷二丁目)と、
宇都宮へ嫁いだ祖母には縁のなさそうな場所です。
でも写真の古さ加減から、
ひょっとしたら祖母の写っている一枚かもしれないと思い
裏面に「富久」の文字を探しました。
08
左から二人目の名前に「富」の字はありますが、
「下條富志?子」としか読めません。
別人でしょう。

捨てそうになって、でも、左奥の人物の雰囲気に、
捨ててはいけない、という何かを感じ、
念のため、Photoshopで目一杯調整してみると、こうなりました。
09
気になった女性の顔は、祖母のフクに、とても良く似ています。
「そうなのかな、でも、名前が無いしな〜」と思いつつ、
裏面を再度確認すると、発見!
「野口婦久子」とあるではありませんか。
しかも「野口」は祖母の旧姓だった、と気づきました。
「富」の漢字にこだわり過ぎて、こちらを見逃してしまったのですね。

この写真の撮影は明治三十八年とありますから父誕生の二年前です。
ということは、まだ多分十代の、嫁入り前のフクさんですね。
その若く美しい姿を、
112年後の私に何としても見せたかったのだ、としか思えません。
それにしても、このフクさん、
一体いくつの「ふく」を使い分けていたことやら...

無改造ベビーローライに35mmフィルム12017年03月20日

クラシックカメラ好きは、
自分の愛機を「貴婦人」と呼ぶことが多いようですが、
本当にその名にふさわしいと私が思うのが、
次の写真の二眼レフ" ベビーローライ Baby Rollei "です。
ベビーローライ
127フィルムという今ではレアなフィルムを使い、
4x4cmの真四角な写真が撮れます。
この規格の二眼レフは、
60年ほど前に何種類か発売されたものの、
実用性の低さからすぐに廃れたそうです。
その実用性の低さも、現代においてカメラ遊びをするのには、
逆に魅力となっているのかも知れません。
そんな理由で、貴婦人を手に入れて遊んでみました。
Baby Rollei

まず最初は、通販で入手したフィルム(高い!)を入れ、
普通に撮影してみました。
02
貴婦人らしく、何かと扱いにくいカメラですが、綺麗に撮れます。
(問題点もありました → 後日のテーマ

このカメラは、ベスト判フィルム(127フィルム)を使います。
このベスト判のような「紙巻きフィルム」を使う場合、
当時一般的な機種では、裏蓋の赤窓を覗きながら巻き上げ、
赤窓に表示される数字でフィルムのコマ数を確認するのが普通でした。
私の使っていたフジペットもそうでした。
赤窓
ところが、ローライフレックスのシリーズでは、
フィルムの厚みを感知して、すべて自動でカウントするそうです。
いわゆる「フルオートマット」と言われる機能です。
試しに、フィルムを取り除いた遮光紙だけをスプールに巻きつけ、
正規のフィルムを装填した時と同様に操作してみました。
巻き上げノブを回せば遮光紙は送られるのですが、
確かにカウンターは「0」から頑として進みませんでした。
03
「フィルム入ってないじゃないの!」と仰っているわけです。
なかなか賢い貴婦人です。

この自動カウンターの仕組みを調べてみました。
その機構は、裏蓋を開けると案外簡単に分かっちゃいました。
次の写真の赤矢印の突起が、メインの役割を担っているようです。
04
後日入手した使用説明書でも、この突起の名称は
"Automatic film feeler mechanism" とされていました。

とすれば、貴婦人のこのメカニズムを「騙すと」どうなるでしょう?
次の実験をしました。
使用済みフィルムの遮光紙を用意し、
元々のフィルムが貼られていた、その開始位置に、
次のように現像済みフィルムの切れ端を貼り付けました。
05
この写真の白矢印部には、
遮蔽紙に貼られたフィルムの厚み分の「段差」があります。
この段差が先ほどの突起を「蹴飛ばし」、
その結果フルオートマットのメカニズムが働き始めるはずです。
まず、スタートマークを合わせ、
06
カンターの「0」を確認して、
07
巻き上げノブを回していくと、途中で「カチャリ」と音がしました。
多分、突起が蹴飛ばされた音でしょう。
そこからは、次のようにカウンターが進み始め、
08
窓に「1」が現れてきました。
09
「1」になったところで裏蓋を開けてみると、次のように
10
確かに一枚目の位置まで送られていました。

再度この手順にて一枚目まで送った後、
今度はシャッターチャージとリリースを繰り返しました。
すると正常にカウンターが進み始め、「--- 6・7・8 ---」を経由して、
最後の「12」まで到達しました。
12
ここで裏蓋を開けると、
13
目論見通り「12」のコマ表示が現れていました。
ということは、
初めの部分だけフィルムを貼り付けた偽フィルムを使って、
カメラを騙すことに成功したことになります。

続く